書評

2025年7月号掲載

黒柳徹子『トットあした』刊行記念特集

心のなかの湖

窪美澄

この唯一無二の女性が受け取ってきた「あの人たちの言葉」で半生をふり返る、待望の書下ろし自叙伝を読む――

対象書籍名:『トットあした』
対象著者:黒柳徹子
対象書籍ISBN:978-4-10-355008-2

 あの日、あのときの言葉が自分を生かしてくれた、あの言葉があったから自分は自分の人生を生きることができた。そんな宝物のような言葉を、人は誰しも抱えて生きていると思う。
「きみは、本当は、いい子なんだよ!」
 この言葉を耳にした方も多いだろう。トモエ学園校長の小林宗作先生が幼い黒柳さんに伝えた言葉だ。「先生のおかげで(略)私は自信を持って大人になれたように思っている」と黒柳さんが書かれているとおり、この言葉は彼女を生かし、黒柳徹子という唯一無二の存在を形づくった。
『トットあした』には総勢二十三名の方々による「ささやかで、ごく個人的な、そんな言葉」がちりばめられている。小林先生をはじめ、放送作家の永六輔さん、俳優の小沢昭一さん、作家の向田邦子さん、森茉莉さん……有名人ばかりではない、パンダ好きの子どもたち、そして、インドで出会った男の子まで、と多岐にわたる。
 どの言葉も素晴らしい。それ以上に改めて強く感じるのは、黒柳さんの感受性のとびきりのみずみずしさだ。言葉は放つほうの力の大きさだけでなく、聞き手のなかに静かな湖のような受容器がないと、決して響くことがないし意味をなさない。黒柳さんの心のなかにある湖はきっと誰よりも透明で、投げられたのがどんなに小さな石であっても、それは大きな波紋を描いて、奥深くに静かに沈んでいくのだろう。
 印象深い言葉はたくさんあったが、例えば向田邦子さんの「幸せと災いは、かわりばんこに来るの」という言葉は、直木賞を受賞後に飛行機事故で亡くなった向田さんの人生を思うと、胸がつまった。そして、六十歳になってから写真学校に入り、プロの写真家になったリリイ・スタンズィさんの「忍耐力があったこと。目がよかったこと。そして、女であったこと」という言葉。彼女の生き方と共に力をもらえる女性も多いのではないか。
 本からの言葉もある。幼少期、黒柳さんが結核性股関節炎での入院中に、夢中になって読んだというチェーホフの「兄への手紙」のなかにある「(教養がある人間は)普通の眼には見えないもののためにも心を痛める」という一節。長く人生を生きてきた人間として背筋が伸びる思いがした。
 それでも、宝石のような言葉が並ぶこの本のなかで、私がいちばん印象に残ったのは黒柳さんご自身の言葉だ。それは黒柳さんが三十八歳のときにニューヨークに留学し、通った演劇学校の主宰者、メリー・ターサイさんの項にあった。
「……そして、人間が――特に女性が――、生きていくのはとてもつらいことなんだ、深く傷つかずに、気も狂わずに、自殺を考えることもなく生きていくってことは、大変な事業なんだな、と知った」
 黒柳さんが何を見て、このように考えたのか、それについて、詳しくは書かれてはいないが、黒柳さんがニューヨークに行った三十八歳、という年齢は、女性にとって大きなターニングポイントになる年なのではないか。仕事、結婚、妊娠、出産。令和の今になってもなお、どちらを向いても、どれを選んでも、強い光のそばに濃い影がある。自分自身の人生を振り返ってみても、その頃、本当にいろいろなことがあった。私はまだ小説家でもなく、離婚の危機に直面していて、ライターを生業とする自分ひとりの力で子どもを大学に行かせることができるだろうか、と布団のなかでピーピー泣くような人間だった。その年齢になってもまだ自分の人生を歩んでいない、という自信のなさしかなかった。
 テレビジョンという未知のメディアの草創期からそのキャリアをスタートさせ、「女性は結婚したら家に入り、子どもを産む」という価値観が当たり前だった時代を生きた、黒柳徹子という一人の女性の生に、痛みや傷がなかったはずがない。けれど、黒柳さんはこんなに大変だった、こんなに苦労した、とは書かずに、「この言葉があったから生きてこられた」と綴る。その姿勢があったからこそ、黒柳さんは誰にも真似のできない人生を生き、着実にキャリアを積みあげて来られたのではないか。
 今、人の生き方は多様性に満ちて、自由度が高まっているように見えるけれど、そこから「自分だけの人生を見つけ、それに心血を注いで生きる」ことは、より困難が伴うことになってはいないだろうか、と思うことがある。それでも人生に迷ったらこの本を開いてほしい。『トットあした』にちりばめられた言葉は、自分だけの人生を模索する人たちにとって、大きなインスピレーションの源泉になるに違いない。

(くぼ・みすみ 作家)

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