書評
2025年7月号掲載
「世界」を切断する
上田岳弘『関係のないこと』
対象書籍名:『関係のないこと』
対象著者:上田岳弘
対象書籍ISBN:978-4-10-336736-9
確かに、私たちの周りには「関係のないこと」が多すぎる。ひとりの人間が自分の感覚が届く限りの場所においても関係は多すぎるというのに、インターネットやSNSの発展によって、「関係のないこと」が過剰に広がる一方、「関係のありそうなこと」が膨らみ過ぎて、その処理に私たちは四苦八苦している。友達や家族のいざこざと並行し、イスラエルのジェノサイドや、ロシアのウクライナ侵攻、日本の野球選手のアメリカでの活躍、タレントのセクハラや俳優の不倫、街のグルメ情報に、株や投資のテクニック。知らなければ自分には「関係のないこと」に「関係があり過ぎる」のだ。しかも、ただの関係ではなく、その関係の中で自分の立ち位置が問われるというとても厄介な関係作りが求められる。
上田岳弘の新作の短編集には、そんな関係があり過ぎる世界に生きている私たちの姿が描かれている。しかもそれは、新型コロナウィルスによるパンデミック後の2020年から今の2025年までに限定された人間の感情たちだ。しかもそれは、日本の東京の限定された空間の中で生きる人間たち。しかもそれは、人口の5%にも満たないアッパークラスの人々の心象風景なのだ。
私が彼の作品に惹かれるところは、上田氏が見ている世界の図式。地球上に人間が勝手に作り出した世界の心の地図なのだろう。
「キュー」という初めての長編小説が出版された時、その広大な世界にどっぷりはまり込んでしまった。そして、高橋一生主演でこの作品を舞台化したいと思うようになり、話を進めていった。上演の予定は2021年だった。しかし、計画の進行途中でパンデミックが起こった。劇場は封鎖され、東京中の演劇公演が中止を余儀なくされた。その時の苦しさは、今思い出しても吐き気がするくらいだ。人々が集まりリハーサルをして、劇場という人が集まる場で表現する演劇は、新型コロナウィルスと極めて相性が悪かった。
だったら出演者を最小限にした一人芝居を作れないかと主演の高橋一生が提案してきた。そこから始まったのが、舞台「2020」であり「キュー」の中の登場人物Genius lul-lulをスピンアウトした作品だった。現場で上田氏と高橋氏と議論を重ね、モノローグの台詞は積み重なっていく。この作業はとてつもなくスリリングなものだった。
その作業の中で上田氏が何気なく放った言葉が印象的だった。「文学は、紙面上の二次元の表現なので、パンデミックによる影響は少ない」。「えっ!?」その飄々さに驚いた。
今回の短編集には、その当時の人間の心情がビビッドに描かれている。私は、本当にパンデミックを機に日本人の心は変わってしまったと思っている。如実に変わった。この煽りを大きく喰らっているのが、本書に描かれている40代を生きる人間の心情なのだと思う。短編に出てくる主人公たちは男女を問わずひとりの人間だ。
「片翅の蝶」の義理の姉の心と、自分のせいで片翅にしてしまった蝶の姿が象徴的に繋がりを見せる。「下品な男」が現れる小さなバーの空間は、パンデミック以降すっかり変わってしまった社会のモラルの中で本音が漂う場所なのだ。私たちの本音の権化として、心を抑えられた主人公の元に彼は現れる。「関係のないこと」で弁護士の主人公は、自分がいる世界の外側に塗り固められた「世界」と格闘している。彼の上司はいう、「関係のないこととあることを見極めることが大切なんだ」と。切断するための過去は錦戸という同級生の存在として現れる。「扉」に登場するビルの屋上に立つ女性は、まさに今の渋谷を思わせるインバウンドが作った「間違った/間違っていないサイバーな東京」。なんという美しき表現なのだろうか。彼女が身を乗り出し飛び出そうとしたのは、そんな「間違った/間違っていないサイバーな東京」を「関係のないこと」にすることだったのかも知れない。「おそらくは、たぶん」で、男は転職を考えている、そして、Google Mapsの情報にある「世界」を消去して偶然見つけて入ったバーは、日本の東京の5%にも満たない人々が集まる場所。そう、最初に書いた5%の人間たちだ。この5%に「肉の海」への回避の可能性があるのだと、先ほど私が書いた印象に戻っていく。
新作の短編集は、短編の連続でありながら、一つの変奏曲のように思える。今後の上田岳弘が描いていくであろう作品群の原資がここにある。小説は遅効性。上田氏の言葉を思い出す。この原資たちがゆっくりと上田氏の作品に投影され、片翅の蝶のようにさらなる変態を見せていく気がしてならない。
(しらい・あきら 演出家)