書評

2025年7月号掲載

「トランプ劇場」を理解するための必読書

井上弘貴『アメリカの新右翼─トランプを生み出した思想家たち─』(新潮選書)

橘玲

対象書籍名:『アメリカの新右翼─トランプを生み出した思想家たち─』
対象著者:井上弘貴
対象書籍ISBN:978-4-10-603932-4

 トランプが二度目の大統領に就任して以来、経済学のすべての常識に反する関税政策、開発援助を行なう政府機関の強引な解体、ウクライナのゼレンスキー大統領との全世界に中継された口論など、次々と繰り広げられる「劇場政治」に啞然としているのは私だけではないだろう。本稿の執筆時点でも、ハーバード大学を標的に助成金の打ち切りや留学生の受け入れ停止など、従来の「自由なアメリカ」では考えられないことが起きている。
『アメリカの新右翼─トランプを生み出した思想家たち─』は、アメリカの政治思想史を専門とする著者が、この「異型の政権」を支える新しいイデオロギーを紹介しつつ、混乱するアメリカ社会の背景を解明していく。
 アメリカでは1960年代のカウンターカルチャーの時代から、右派(保守派)と左派(リベラル)のあいだで「文化戦争」が闘われている2000年代になると、左派から派生したウォーク(Woke:社会問題に意識高い系)と、右派が“進化”したオルトライト(Alt-right:オルタナ右翼)が価値観とアイデンティティをめぐってサイバー空間で衝突し、それが現実空間(政治や社会)にも影響を与えるようになった。その最大の事件が2016年のトランプ当選で、現在起きているのは文化戦争がさらに過激化した第二幕(あるいは最終局面)ということになる。
 第二次世界大戦以降、世界は「リベラル化」「知識社会化」「グローバル化」という巨大な潮流に飲み込まれた。これは全体としては好ましいことだが、その一方で白人労働者階級をはじめとして、社会や経済の大きな変化に適応できず脱落する者たちを大量に生み出した。
 彼ら/彼女たちは、「アメリカ人としてのプライドがもてるふつうの幸福」を奪われたのは、リベラルのエリートが世界を支配しているからだと思っている。これが「ディープステイト」で、稀代のポピュリストであるトランプは、この「支配」から解放してくれる救世主なのだ。
 この世界観では、ハーバード大学はリベラル(すなわちディープステイト)の牙城で、だからこそトランプはそれを“破壊”しようとしている。このように考えれば、いま起きている事態が理解できるだろう。
 フランシス・フクヤマは冷戦の終焉を受けて、政治制度の最終形態はリベラル・デモクラシーであり、「歴史は終わる」と論じた。ところがいまや、社会は大きく動揺し、新たな「歴史」が始まろうとしているように見える。
 リベラル・デモクラシーが機能不全になったとすれば、問題は「リベラリズム」か「民主政(デモクラシー)」、あるいはその両方にあるはずだ。
 アメリカの保守派は、建国の英雄たちが起草した憲法の条文を神聖視し、その理論的礎であるジョン・ロックなどの古典的自由主義を信奉してきた。だがパトリック・J・デニーンのような「ポストリベラル右派」は、それもまた「リベラロクラシー(リベラルの支配)」を生み出した元凶だとして、民主党だけでなく共和党主流派(保守本流)も否定する。そして、コミュニティや友愛に重きを置く「保守的なキリスト教徒」の伝統の復活を求めるのだ。
 それに対してテクノ・リバタリアンであるピーター・ティールは、「自由」と「デモクラシー」は両立しないとして、人類を未来へと「加速」させるために、既存の世界から隔離された「自由な空間(たとえば海上自治都市)」をつくろうとしたり、新たな統治制度への移行を試みようとする。国家をスタートアップの会社と見なし、カリスマ的なCEOが「経営」するアイデアもそのひとつで、大富豪のイーロン・マスクはトランプ政権でそれを実践しようとした(そしてどうやら失敗したらしい)
 興味深いのは、過去へと「退行」しようとするデニーンだけでなく、未来へと「加速」させようとするティールもキリスト教への信仰を基礎にしていることだ。なぜなら、「新しいテクノロジーを創造することは、神の御業が人間をつうじてあらわれること」だから。――副大統領のJ・D・ヴァンスは、ティールの影響を受けてプロテスタントからカトリックに改宗したとされる。
 それ以外にも本書には、批判的人種理論など左派(レフト)からのリベラリズム批判や、白人至上主義者の陰謀論の定番である「大いなる置き換え(ヨーロッパ文明が非白人に乗っ取られる)」の源流となったフランスの「極右思想家」など、複雑化・過激化する文化戦争を理解するうえでの必須の知識がコンパクトにまとめられている(私が知らないこともたくさんあった)
 トランプはなにをしようとしているのか、アメリカでいったいなにが起きているかを知りたいひとのための必読書であることは間違いない。

(たちばな・あきら 作家)

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