書評
2025年7月号掲載
公務員の日常と不思議世界のコラボレーション
明里桜良『ひらりと天狗─神棲まう里の物語─』
対象書籍名:『ひらりと天狗─神棲まう里の物語─』
対象著者:明里桜良
対象書籍ISBN:978-4-10-356331-0
いい感じの小説だなあ。
去年、「日本ファンタジーノベル大賞2025」の一次選考でこの作品(応募時のタイトルは「宝蔵山誌」)に出会った時、まずそう思った。20代前半の地方公務員、大月ひらりの飾り気のない堅実な語り口に冒頭から引き込まれた。
〈ぼんやりと朝食を摂る。にぎやかな朝の情報番組を見ながら漫然と服を替え、最低限の化粧をして、出勤する〉
仕事に出かけるまでの一連の動作を彼女はこう述べる。そうそう、朝、家を出る時ってこうだよね、服にも化粧にも時間かけていられないよねと、ひらりにたちまち親しみを覚える。
彼女の職場は豊穂市役所。〈すぐやる課〉の〈維持管理グループ〉に所属し、日々電話対応とその後の庁内調整に追われている。頼りになる木島課長補佐、ひょろりとした体軀の天野主査、いつも始業ぎりぎりに来る緒方主任と共に少子高齢化の進む市で種々雑多な業務をこなしている。
ルーティンと人間関係は日本の職場の縮図のよう。うんうん、みんなこうやって仕事してるよねと共感がさらに胸に広がる。
だけどこれ、ファンタジー……なの……かな……?
このまま公務員の日常が描かれていたらどうしよう。いや面白いから全然いいんだけど、もしかして応募する賞を間違えていたりして……。
一抹の不安を感じていたら、異界への扉が見えてきた。
ひらりはある特別な役割を持った家の末裔だったのだ。
彼女は亡くなった母親の実家にひとりで住んでいるのだが、〈ナカヤシキ〉という屋号を持つその家は代々、人々の願いを天狗に伝える役目を担ってきた。いわば橋渡し役。〈ナカヤシキ〉の子ならその方法を知っているだろうと地元の老人に言われ、ひらりは面食らう。
天狗? 願掛け? なんだそれ?
種明かしをしてくれたのは夜三郎さんという名のアナグマだった。家の近くにあるカフェの店主、イケメンで有名な飯野さんが、実は〈ナカヤシキ〉と繋がりのある天狗なのだという。ひらりはそうとは知らず、彼と何度も言葉を交わしていたのだ。
喋るアナグマにイケメン天狗。おお、ファンタジーらしくなってまいりました! このあとひらりと彼らが大活躍するんですよね?
と思うのだが、その予想をさらりと裏切るのが本書のユニークなところ。彼女は自分(の家)の役目に〈妙に納得〉しながらも、大いに戸惑ってしまうのだ。使命感を制御するのは、例外を作ってはいけないという公務員としての職業意識。「中継ぎ担当」になるとしたら、依頼者全員の希望を平等に聞かなければならない。でもさすがにそれは無理なのではないか……?
ひらりの困惑は知らないが〈ナカヤシキ〉の役割は知っている高齢者たちは、当然のごとくやってきてひらりに相談をもちかける。気安く家を訪れるようになった夜三郎さんや、コノハズクの百助さん、美しい猪のツバキさんなど、昔から〈ナカヤシキ〉と付き合いのある生き物たちの力を借り、アドバイスを受けながら自分のミッションを理解してゆくひらり。やがて自分の周りには、氏神様や山の神様が人間に姿を変えて存在していたことを知り――。
〈ナカヤシキ〉をめぐるエピソードと公務員としての毎日。ひらりにとってそこに境目はなく、どちらも地続きの出来事としてとらえられているのが面白い。市が主催する婚活イベントや空き家活用事業に駆り出され、人の心の不可解さや地方が抱える問題を目の当たりにする日もあれば、願掛け案件に(悩みながら)応対する日もある。ひらりは〈ナカヤシキの子〉としてはまだ頼りないけれど、勝手が分かっている動物たちが生き生きと彼女のサポートをしてくれる、その仲間感が読者の心を温める。狸の一族が現代的なやり方で詐欺師を成敗する場面は、思わずガッツポーズをしてしまうほど痛快だ。
あり得ない要素を注ぎ込んで話をどこまでも広げていけるのがファンタジーというジャンル。ぶっ飛んでいてもかまわないし、いくらでも恣意的になれる。その自由さを乱暴に使わず、丁寧に扱っているのがこの小説の大きな美点だ。動物たちだけでなく人間の脇役にもきちんと個性を持たせ、ひらりに気付きを与える存在として見せ場が作られている。だからひとりひとりの姿形が浮かんでくる。
物語の後半にはひらり自身の見せ場がある。しかもかなりかっこいい! みなさんもぜひ彼らが暮らす「神棲まう里」に、足を踏み入れてみてください。
(きたむら・ひろこ フリーアナウンサー)