書評

2025年7月号掲載

モンゴル人の琴線と共鳴する物語

百田尚樹『モンゴル人の物語 第二巻─イスラム王朝との戦い─』

楊海英

対象書籍名:『モンゴル人の物語 第二巻─イスラム王朝との戦い─』
対象著者:百田尚樹
対象書籍ISBN:978-4-10-336418-4

 百田尚樹氏の『モンゴル人の物語』は、チンギス・ハーンをはじめ、その夫人や将軍たち、さらにはモンゴルと接触したユーラシア世界のさまざまな民族や国家の英雄・豪傑や一般人たちの人生を描いた、まさに人生史・人生誌の万華鏡である。
 ここでいう人生史・人生誌とは、単なる偉人の業績を羅列したような「神々の物語」ではなく、我々と同じ人間としての喜怒哀楽を、作家ならではの視点で描いた著作を意味している。そして注目すべきは、この「物語」の創作方法が、我々モンゴル人の語り口と驚くほど似通っている点である。
 私はモンゴル高原南部のオルドスで生まれ育った。『モンゴル人の物語』にも登場するチンギス・ハーンの終焉の地であり、今も彼を祀る祭殿「オルド」が残っている。もっとも、この祭殿と、そこに関わる祭祀集団「オルドス万人隊(万戸)」がチンギス・ハーンの最期の地とされる故西夏(タングート)に入ったのは、15世紀末のことである。それ以降、オルドス万人隊は西はアラル海、南はチベット高原、北はモンゴル高原へと長距離の移動を繰り返し、17世紀前半に清朝が成立すると、定住を強いられることとなった。
 遊牧民であるモンゴル人やカザフ人(チンギス・ハーンの長男ジョチの後裔)は、歴史を語るのが大好きだ。13世紀から今日に至るまでの出来事を、あたかも自らが見聞きし、時には参加したかのように、感情を込めて語る風習がある。私もそのような社会で育った。幼いころに大人たちから聞いた現代史の語りが、研究者となった今、文書記録と一致していることを確認できた。また、モンゴル帝国期以降の古い歴史に関する語りも、東西の年代記と符合していることに驚かされた。つまり、モンゴル人の歴史の語り口や歴史観は、13世紀以来、ほとんど変わっていないのである。
 モンゴル人が語る歴史は、偉人を神格化するのではなく、失敗談や女性観といった人間的な側面に焦点を当て、情愛を伴って語られる。たとえば、チンギス・ハーンが西夏を征服した後、王妃と一夜を共にしたが、陰茎を切られて命を落としたという伝説を、我々モンゴル人は皆、幼い頃から知っている。それは祖先の不名誉ではなく、むしろ微笑ましい助兵衛じみた祖父のような親しみを感じさせる話である。この逸話は、私のような庶民の間だけでなく、チンギス・ハーンの直系子孫や貴族が書いた年代記にも見られる。
 百田氏の『物語』も当然ながら、そうした情愛の重要性を深く理解して描かれている。たとえば、同氏が参考にした多数の史書の一つ『モンゴル秘史』は、従来、時系列や年代が「不正確」であると指摘されてきた。しかし重要なのは、他の史書と齟齬があるかどうかではなく、「なぜそのような語り方がなされたのか」である。モンゴル人は歴史の結果よりも、その因果関係に強い関心を持っている。したがって、年代順に出来事を並べるよりも、後になって振り返って見出された遠因や因縁について、分析的に語ることを重視する。その結果として生まれるのが、単なる年表ではなく、喜怒哀楽に満ちた長編の物語である。百田氏はこうした史料の特性を的確に把握し、物語として昇華させた。そこに、我々モンゴル人の琴線と共鳴する所以がある。
 我々モンゴル人は、漢籍に基づく「史実の羅列書」が苦手である。百田氏も触れているが、「スーパーマンのような耶律楚材」伝といった物語は、モンゴルではまったく人気がない。こうあってほしいという一方的な夢想を自己中心的に押し付けた、下級読書人の妄想的な作り話は、草原の物語世界にはそぐわない。逆に、イギリスの歴史家・文化人類学者ジョン・マンの一連の著作は、モンゴルで高く評価され、モンゴル国政府から表彰されたほどだ。彼はモンゴル社会に身を置き、遊牧民の暮らしから帝国建設の精神的原動力を見出した。なぜなら、遊牧という生き方や暮らしは、紀元前の匈奴の時代から現代に至るまで、基本的に変わっていないからである。
 百田氏は草原にこそ足を運んでいないようだが、作家としての独自の嗅覚と見識により、ステップに生きる人々の心を見事に捉えている。
 歴史とは、過去の「事実」を再構成するだけのものではなく、過去の「文化」である。「事実」は『羅生門』のように視点や立場によっていかようにも変容するが、文化は変わらない。モンゴル人の「昔から変わらぬ文化としての歴史」を、当事者の視点に寄り添いながら、同じ人間・日本人として語る百田氏の営為は、モンゴル学の蓄積が世界一といわれる日本においても、極めて開拓的である。週刊新潮での連載時から、モンゴル人の間でも高く評価されており、一日も早いモンゴル語版の刊行が待たれる。
 その際にはぜひ、百田氏がモンゴルを旅し、「わしの『モンゴル人の物語』の世界は間違っていなかった」と語ってくださることを願ってやまない。

(よう・かいえい 静岡大学人文社会科学部教授)

最新の書評

ページの先頭へ