書評

2025年7月号掲載

今月の新潮文庫

楽天的な神話の時代

リチャード・デミング、田口俊樹 訳『私立探偵マニー・ムーン』

小森収

対象書籍名:『私立探偵マニー・ムーン』
対象著者:リチャード・デミング/田口俊樹 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-240881-0

 リチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』は、片足(が義足)の私立探偵が、腕っぷしと頭の良さで事件を解決する中編集だ。主人公のマニー・ムーンは、悪党どもに対して、自分の名を呼ぶときには「ミスター」をつけることを要求し、片足であることをものともしない格闘の強さと、突然のひらめきで、事件の謎を解き明かす。
 単純に考えて、片足というのは、暴力沙汰の場合、かなりのハンデとなろう。ミステリの主人公を見回しても、隻腕ならば、マイクル・コリンズのダン・フォーチュン、ディック・フランシスのシッド・ハレー、ヒュー・ペンティコーストのダークといった面々が思い浮かぶが、片足というのは、思いつかない。強いて言えば、TVドラマだが、下半身不随で車椅子の鬼警部アイアンサイドか。しかし、ムーンにはアイアンサイドのように、サポートしてくれるメンバーがいるわけではない。
 おまけに、この私立探偵、片足であることの翳りというものがない。先にあげた隻腕の主人公は、片腕であることが、過去の自身のコンプレックスが具現化したものだと言えた。ダークやアイアンサイドの障碍の原因は、敵の攻撃によるものであり、ある意味で、自身の失敗の結果だった。ムーンは違う。第二次大戦の欧州戦線での名誉の負傷であり、復員後、何ごともなかったかのように、元の私立探偵稼業に戻っている。元来有望なボクサーだったようだが、レンジャー部隊で軍隊式柔道アーミー・ジュードーを会得し、ますます強くなったらしい。むしろ、格闘の経験を積む前の若いころの失敗が元となった、容貌の醜さを自覚していることの方に、より屈託があるように見える。いずれにせよ、ライヴァルのデイ警視に「おれを刑務所ムショ送りなんかにして、そのあとこの街の殺人事件は誰が解決するんだ?」と啖呵をきるのだから、これはもう、単に片足がないだけのスーパーマンだ。
 こうしたムーンの障碍のありようは、後続の隻腕ヒーローより、むしろ、歴史的には先行している、アーネスト・ブラマの創造した、シャーロック・ホームズ時代の盲目探偵マックス・カラドスに近い。「風変わりな東洋の銘柄の煙草の吸い殻やら、エジプトの甲虫スカラベを模した装飾品やら、探偵が出くわすのが相場と決まっているその他のきわめて有益な手がかりはなかった」というギャグが、第二話に出てくるが、それは同時に、ホームズ以降脈々と続く私立探偵ヒーローの末裔を自認している証でもある。ダシール・ハメットのサム・スペイドものの短編が、そうであったように。ただ、デミングはブラマより小説が巧いから、主人公のハンディキャップをミステリに生かす術を知っている。それでも、片足であることは、主人公の人間的な弱点の表象ではなく、キャラクターの持つ色どりの域を出ない。
 本書におけるムーンの個性で重要なのは、片足であることよりも、むしろ、従軍した私立探偵であることだろう。おそらくは戦利品であるワルサーP38(ドイツ国防軍の制式拳銃だ)を片手に、政府からは片足でも運転できる自動車を支給されている。同時代のアメリカに旋風を巻き起こした、ミッキー・スピレインのマイク・ハマーを、デミングがどの程度意識したかは分からないが、自分たちの力で戦争を終わらせた男たち(の一人)が、個の能力を以って、警察よりも早く犯人を捕らえることが出来るという神話。有色人種がほとんど視野に入ってくることのない(ミスターどころか、ムーン相手にやたらとサーを連発する黒人と、日本人とおぼしい東洋人のふたりしか出て来ない)神話。それは、USAの白人男性にとって、痛快で楽天的な神話以外の何物でもない。
 だが、私立探偵を主人公とした、その神話が説得力を持てたのは、驚くほど短かい期間だった。わずか数年後には、私立探偵はミステリの主役の座から降り、かろうじてテレビの私立探偵ものとして、再生産をくり返すことになる。「ピーター・ガン」「サンセット77」「ハワイアン・アイ」「サーフサイド6」と花盛りとなった。しかし本書の大半の初出誌であるブラックマスクは終焉を迎え、警察小説の時代が幕を開ける。本書の最終話の発表は朝鮮戦争のさなかだが、十年と経たないうちに、ブラックマスクの後継誌ともいうべきマンハントに、デミングが描くことになる、朝鮮戦争に従軍し、ムーンと同じように独立不羈のヒーローであるクランシー・ロスは、しかし、私立探偵ではなかった。

(こもり・おさむ 編集者/評論家/作家)

最新の書評

ページの先頭へ