書評
2025年7月号掲載
テレビよ、さようなら
今道琢也『テレビが終わる日』(新潮新書)
対象書籍名:『テレビが終わる日』
対象著者:今道琢也
対象書籍ISBN:978-4-10-611091-7
「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にします。「若者の車離れ」「若者のビール離れ」「若者の海外旅行離れ」……いろいろ言われていますが、価値観の多様化によって、皆が同じものを求める時代ではなくなったということでしょう。
中でも「壊滅的」と言えるほど進行しているのが、「若者のテレビ離れ」です。10代の一日のテレビ視聴時間(リアルタイム視聴・平日)は、2012年には、102・9分だったものが、直近では39・2分へと激減しています。20代も121・2分から53・9分と、半減です(「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」令和5年度及び4年度版、総務省)。このまま行くと、あと10年もしないうちに視聴時間がゼロになりそうな勢いです。同調査によると、中年層でもテレビの視聴時間が落ち込んでいます。
ただし、これはテレビの「リアルタイム視聴」(=放送時間にあわせてテレビを視聴する)の調査結果です。今はスマホで見逃し配信を見ることができますし、YouTubeでテレビ局が配信している番組を見ることもできます。従って「テレビ離れが進んでいるのではなく、視聴の手段が変わっただけではないか」という反論もありそうです。しかし、残念ながらというべきか、それは幻想です。別の調査で、インターネット上でテレビ局が提供するコンテンツに、人々が1週間のうち何日触れているかを調べたものがあるのですが、圧倒的多数の64・2%が「接触なし」と回答しています。「週1日・2日」の低頻度の接触を加えると75%超です(「放送研究と調査」2022年11月号、NHK放送文化研究所)。大部分の人は、インターネット上のテレビ局のコンテンツに全く触れないか、「たまに」触れる程度に過ぎません。
テレビ離れの背景には、メディアの「主役交代」があります。テレビの視聴時間を奪っている、YouTubeやTikTokを初めとした動画共有サイトは、個人が発信することが基本の「パーソナルメディア」です。少数のマスメディアが何千万人に向かって発信する時代から、何千万人の個人が自ら発信する「パーソナルメディア」の時代へ。インターネットの発達によってメディアのあり方が根本から変わりつつあるのです。
とどめを刺すのが、動画生成AIの普及です。今後、社会に流通する動画コンテンツは桁違いに増えるでしょう。テレビ番組の競合品が無限に生産されることになるのです。元テレビ局員として、「テレビにはまだまだ可能性がある」と言いたいのは山々ですが、それは甘すぎる見通しです。
どれほど興隆した産業であっても、やがて衰退期を迎えます。テレビという栄華を極めた産業が静かに衰退して行く――私たちは時代の大きな転換期に立ち会っているといえそうです。
(いまみち・たくや 「ウェブ小論文塾」代表、元NHKアナウンサー)