書評
2025年8月号掲載
《記録》から《記憶》へ橋を架ける
小池水音『あなたの名』
対象書籍名:『あなたの名』
対象著者:小池水音
対象書籍ISBN:978-4-10-355042-6
小池水音『あなたの名』は、七十四歳で余命五カ月を宣告された新田冬香の視点から語られる物語だ。冬香は母が同じ腎臓からはじまる癌の投薬治療で苦しんだことを思い、自分の娘・紗南にはそのような姿を見せたくないと考え、延命治療をやめて自宅で過ごしている。その交換条件のようなかたちで紗南が提案したのは、冬香を《記録》したAIをつくることだった。紗南は出産をひかえていたが、冬香はその子の顔を見ることができない。そうした生と死が交差する生活をしながら、藤野という業者の男とともに、冬香へのインタビューをビデオカメラで撮影などしながら《記録》を残していく。
冬香は紗南の継母に当たり血のつながりはないが、喘息を患う体の弱い紗南に最大限の愛情を注ぎ、四歳のときから母娘の物語を生きてきた。その過程には、ふたりが培ってきたたくさんの《記憶》がある。一方で、《記録》は、同時的に体験する《記憶》と異なりあとからつくるものである。つまり、《記録》とは《記憶》から引っ張って出てくるものであって、どの《記憶》を残すかを選べるのが《記録》なのだ。過去に大切な友人の《記録》=AIをつくろうとして失敗した経験を持つ藤野は、それを熟知しているからなのか、インタビューで答えたくないことは話さなくていいという方針をとっている。その点からも冬香を完璧に再現したAIをつくるのは不可能なのであるが、藤野は《記録》のデータさえあれば技術の進歩によってより精度の高いAIがつくれることを信じている。冬香はせめて紗南の助けや慰めになればいいと考えているし、物語が進むにつれその思いは一層強くなっていく。
というのも、《記録》を残していく過程で、若い頃に大恋愛をした元恋人と、その元恋人との子どもを生むことができず失ってしまった《記憶》が鮮明に甦ってきたから。当然、その《記憶》は紗南とは共有していない。そのことに冬香は葛藤する。母娘の優しい《記録》と悔恨の《記憶》、たしかに紗南に残すべきなのは前者なのかもしれない。しかし、紗南が本当に求めていたものは、《記録》ではなく《記憶》ではなかったか。冬香の異変に気付いた紗南の心境も徐々に変化していく様子が描かれる。
ここに《記録》と《記憶》との断絶という物語上の大きな構図が浮かび上がってくる。これは評者の推測だが、藤野が友人の《記録》=AIをつくるのに失敗した理由もそこにあったのであろう。その断絶を埋めるためには、なにが必要になるのか。それはタイトルがすでに示している。そう「名」なのである。
紗南は冬香にもうひとつ頼みごとをしていた。生まれてくる子の名前を冬香につけてもらうことである。それは生と死を越境させるだけでなく、《記録》と《記憶》とを架橋する行為でもある。名前は言葉であり、言葉を記号と考えるならば、それはただの《記録》だ。しかし、名づけという行為は、継母と継子だったふたりが共有できなかった《記憶》でもある。また、名前は《記憶》を蓄積していく装置でも有り得る。《記録》をつくる際に、中学教師だった冬香は元教え子のことを思い出そうとするが、それらはすべて生徒の名前と紐づいていた。「名前は常に誰かがあとから与えたものだった。そうして与えられた名前が生涯にわたり杭として立ち、そのひとの経験するすべての出来事が、そこに結びつけられてゆく。翼、と数十年ぶりに口に出すとき、その杭につながれた、まだ具体的には思い出していない出来事が記憶のなかで一斉に震え、浮かび上がるような感覚がする」と冬香は思う。さらに物語の途中で冬香が無理してひとりで外出した際、助けてくれた若い女性とその子どもの名前を教えてもらうことで、後から反芻して感謝することができたのだった。
《記録》と《記憶》を架橋する名前。まだ付けられていなかったある名前が語られるとき、冬香と紗南の母娘の物語が《記録》ではなく、《記憶》と合流して、ひとつの図形を描く様が切なくも美しい。文学は言葉でつくられた世界であり、《記録》と《記憶》も言葉である。それをつなぐ装置として同じく言葉である「名前」を杭にした小池水音という作家のセンスが光る名作だ。
本書に収録された「二度目の海」も、《記録》と《記憶》をテーマにしており、同時に読むと、より深く作品を理解して楽しめる。
(みやざき・ともゆき 文芸評論家)