書評

2025年8月号掲載

戦後80年、抑留者の悲痛な叫びを聞く

林 英一『南方抑留─日本軍兵士、もう一つの悲劇─』(新潮選書)

増田弘

対象書籍名:『南方抑留─日本軍兵士、もう一つの悲劇─』
対象著者:林 英一
対象書籍ISBN:978-4-10-603933-1

「事実は小説よりも奇なり」との金言は、本書の中にちりばめられている。外地の日本軍将兵や軍属が敗戦後、連合軍の監視下、鉄条網内外の陰惨な抑留生活を赤裸々に日記の中で明かしているからだ。ようやく平和が訪れたと安堵していた本土とは対蹠的に、現地の実情は暗くて悲惨であり、阿鼻叫喚の地獄図を見るかのようだ。
 抑留といえばシベリアを連想しがちだが、本書は北方ではない「南方」、つまり東南アジアの抑留を主題とする。降伏当時、ここには80万人もの日本軍兵士が拘束されており、シベリアの60万人を数段上回った。しかも飢餓・重労働・戦犯裁判という側面も北方同様に過酷だった。思想弾圧が無く、酷寒が酷暑という程度の差にすぎない。にもかかわらず、なぜ南方が世間の注目を浴びることが少なかったのか。
 筆者はその不均衡の理由を、北方抑留は最長11年に達したが、南方抑留は2年半で終結した点や、北方は日本側の被害一辺倒であったが、南方は先立つ「占領」が加害と被害の両義に及んだ点を指摘する。それ以外にも、南方は東西5千キロに及ぶ島しょ群であり、ユーラシア大陸のような一体性がないこと、シベリアはソ連の単独支配下にあったが、南方では英米仏蘭豪5カ国が分割統治したこと、シベリアは東西冷戦の影響を受けて世界から注視され続けたが、南方にはさほどのウェーブがなかったことも要因に加えてよい。
 さて肝心の日記の一端を覗くと、まずは著者が専門とするインドネシアでの記述が生々しい。オランダからの独立気運が高まる中で、日本人は連合軍と現地人の板挟みとなって逃亡兵が続出する一方、西ジャワの港湾タンジュン・プリオクの作業隊は、英軍宿舎の清掃や飛行場の修理、道路修繕、ドブ掃除等で酷使された。「嘗ては進駐軍として威張っていた日本人が、蟻のような長い行列を作って石炭運びに精出している図は、内地の子供達には見せられない」。日々疲労と屈辱を重ねながら、帰還を祈る心情が伝わってくる。
 またマラヤ(現マレーシア)とシンガポールで降伏した日本軍8万人は、クルアンの検問所で戦犯容疑の簡易裁判を受け、戦犯容疑者は黒キャンプ、その他は白キャンプに選別されて、シンガポール沖のレンパン島へ移送された。ここは第一次世界大戦後にドイツ軍捕虜2千人が飢餓とマラリアで全滅した「死の島」だった。当然ながら抑留者の日記は食事や食糧問題に集中する。「兵隊たちの顔いろのわるいこと、青黒くむくんで、目がはれぼつたくみんなほそい目になつてゐる。…一ケ月たつと、私たちもみんなこんな風になつてしまふことであらう。思はずぞつとした」。
 次いでインパール作戦で多大な犠牲を出したビルマ(現ミャンマー)では、帝大出のインテリ見習士官が、収容所の英軍の規律正しさや人柄の良さに感心したが、新たに支給された「JSP(Japanese Surrendered Personnel)」の作業服にショックを受けたと告白する。
 実は英軍はジュネーブ条約に従わず、日本軍を「捕虜(POW)」ではなく「日本人降伏者(JSP)」と規定して、無賃労働を強制した。これは重大な国際法違反であり、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が英軍を“第二のソ連”として強く非難した。結局英国政府が譲歩し、残留日本兵の労働賃金の支払い計算をしたが、その支払いは日本政府に代替させる。現地英軍からすれば、破壊者が南方の再建に従事するのは義務で無償は当然との論理だった。もしマ元帥が英国側を牽制しなかったならば、南方残留者はシベリア並の長期に及んでいたかもしれない。
「帰らないでくれ」とラブコールを浴びたインドネシアとは真逆がフィリピンだった。動員された日本兵60万の約8割の50万が死去し、フィリピン人110万も落命した激戦地だ。日本人はキャンプへの輸送前後、「ドロボー、バカヤロー、パタイ(殺せ)」と現地人から罵声を浴び、投石されるのが日常だった。しかも収容所内は「暴力団」が支配する有様だった。彼らは炊事を掌握したばかりか、演芸や一般作業にも関与し、悪口が知られるとリンチが待っていた。米軍が日本軍の階級制度を止めた後遺症でもあった。
 そのような悲惨な状況が続く中で例外もあった。それがニューブリテン島ラバウルの第八方面軍だった。今村均司令官の英断により、現地では降伏以前から農耕に取り組み、自給自足に成功し、日本軍9万人の指導体制を終戦以後も維持した。しかも今村は自ら戦争責任を取るべく志願して刑務所入りし、豪軍側を感嘆させた。
 はたして戦後の民主国家日本は、これら80万にも及ぶ南方抑留者の悲痛な叫びと戦争を導いた要路への猛省を存分に活かし得たのであろうか。今年は戦後80年の節目となるが、一抹の不安を覚えざるをえない。

(ますだ・ひろし 立正大学名誉教授)

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