書評

2025年9月号掲載

石川直樹『最後の山』刊行記念特集

最初の山

石川直樹

対象書籍名:『最後の山』
対象著者:石川直樹
対象書籍ISBN:978-4-10-353692-5

 最初に登った山は奥多摩の本仁田山だった。男子校の中学に通っていた頃で、仲が良かったクラスの不良グループの友人たちと一緒に登った。不良が登山、というのもおかしな話だが、山に行けば、親からも先生からも遠く離れてタバコも吸えたしお酒も飲めた。夜更かしをして、延々とくだらない話を続けることもできた。家を出る口実としても都合がよかった。テントを担いで山に行く、と言えば親は外泊を許してくれた。ぼくたちは、家庭や学校から自由になろうとして、なぜか山へ向かったのだった。
 あの頃は何も登山道具を持っていなかったから、ありあわせのもので登っていた。当時、流行っていたエアジョーダンというバスケットボールシューズを履いてぼくは登山をしていた。シカゴ・ブルズのスター選手だったマイケル・ジョーダン選手のシルエットがロゴマークになったシリーズで、くるぶしまで靴高があり、今でいうミドルカットタイプのスニーカーだった。
 ぼくはサッカーに夢中で、バスケットボールのルールもおぼつかないのに、当時の流行に乗って、親にねだって手に入れたのだった。バスケットボールシューズだから靴底は平坦で、登山には向かない。山の下りでは、案の定つるつると滑って苦労させられた。
 雨が降ると、愛用のエアジョーダンは見る見るうちに水が滲みこみ、足を濡らした。指先の冷えをどうにかしようと、苦肉の策としてスーパーマーケットでもらえる白いビニール袋を靴下の上に履き、その上から靴を履いた。多少の冷えは和らいだが、靴の中のビニールが滑り、登山中ずっと不快だった。そのことだけは今も記憶に残っている。
 奥多摩の日帰り登山や奥秩父での縦走、河口湖の湖畔でキャンプなどをしていた日々が、ぼくの山の原風景である。友人たちはタバコを吸ったり酒を飲んだりしていたが、ぼくはどちらにも興味がなかった。タバコは二回ほど吸ってみたが、うまく吸えず、何がいいのかさっぱりわからなかった。ビールや焼酎も飲んではみたが、まったく美味いと思わなかった。無論、どんな人も最初はそういう体験から喫煙や飲酒にハマっていくのだろうが、ぼくはそのあたりはどういうわけか頑なで、現在に至るまでタバコにも酒にも興味がない。酒は付き合い程度に飲むが、自分から欲して飲んだことは一度もない。
 山登りを始めた前後、ぼくは一人旅もするようになった。中学二年の冬休みに、東京の家を出て四国の高知に向かった。武田鉄矢作・小山ゆう画の『お~い!竜馬』というマンガを読みふけり、坂本龍馬の故郷である高知県にどうしても行ってみたくなって、電車を乗り継いで四国を目指した。
 海外への最初の一人旅は、高校二年の夏休みに敢行したインド・ネパールの旅だった。喧騒のインドを脱出し、『深夜特急』よろしく深夜バスで国境を越えてネパールのカトマンズに入り、その後、数日間のトレッキングを体験した。ランタン地方に行って初めて万年雪をかぶったヒマラヤの山々を眺め、それが今に続くヒマラヤ登山のきっかけになっている。
 あの頃のぼくには自由への憧れがあった。決められた時間に学校に行き、ときに𠮟られながら勉強を強要され、有無を言わせず教師が敷いたレールの上を進まされることに、強く反発していた。が、今から考えると、十代で山に行きインドにさえ行けた日々は、自分で思っていたよりずっとずっと自由だったのかもしれない。
 十代でのほぼすべての体験は、はじめてのことばかりだった。キャンプも登山も酒もタバコも旅もインドも、すべて初めての体験だった。
 過去の自分を振り返ったとき、あるいはヒマラヤの8000メートル峰14座への旅を振り返ってその出発点は何だったのだろうと考えたとき、一つの強烈な出来事が起点になったというより、自由を欲した十代のぼくのあらゆる初体験の積み重ねが今の自分を形作っているという当たり前の結論に行き着く。
 子どもなりに自由を希求するようになったその根っこには小学生の頃に読んだ冒険や探検の本があり、それらの本を手に取るきっかけは自分の性格だったのかもしれず、その性格が両親や生活環境に少なからず培われたものだとすれば、自分が生まれ、常にいまを生きている、ただそのことが、それのみが原点ということにならないだろうか。
『最後の山』という本を書き上げてヒマラヤへの長い旅に区切りをつけたところだが、無論そこからはじまる新たな旅がある。また一つ一つ小さな体験を積み重ね、生きている日々の最後の最後まで、すなわち死ぬまでいくつもの旅を繰り返していくだろう。そう考えると、ぼくはこの世界に生まれたその日から、ずっと自由だったのかもしれない。

(いしかわ・なおき 写真家/作家)

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