書評
2025年9月号掲載
幻想ミステリの新たな傑作
彩藤アザミ『正しい世界の壊しかた─最果ての果ての殺人─』
対象書籍名:『正しい世界の壊しかた─最果ての果ての殺人─』
対象著者:彩藤アザミ
対象書籍ISBN:978-4-10-338014-6
この小説の扱う謎は世界そのものである。
主人公の少女・未明が暮らすのは、いばらの迷路に囲まれた小さな村ドルノ。神に選ばれたその土地では、善き人々が自給自足生活をし、平和な日々を送っている。未知なる世界に惹かれる未明は、図書館の禁書をこっそりと持ち出し、遠い世界の物語に胸を躍らせる。やがて海を見てみたいという思いに突き動かされ、いばらの向こうに足を踏み出した未明は、行き倒れている少年を発見、村に連れ帰る。
それまで外部との交渉がほとんどなかった村に、突如現れた異邦人。キフカというその少年の出現をきっかけに、穏やかだった村の雰囲気が少しずつざわつき始める。未明にとっても、キフカとの出会いは大きな意味を持つものだった。彼が語る外の様子は、未明の暮らす楽園とはまったく違っている。暴力や身分差があり、飢えや貧困がある。誰も私有財産を持たず、村全体で子育てをするドルノ村とは大違いだ。
そんなある日、村を導く預言者の“一世さま”が何者かに絞殺されるという大事件が起こる。長年村を見守ってきた彼女が、新たな後継者を指名すると発表した矢先の出来事だった。しかし事件のあった夜、村人はすべて神の御業によって眠りに就き、夢を見ていたはずだ。では預言者を殺すことができたのは誰なのか。
閉ざされた小世界を舞台にしたファンタジーと思って読んでいると、不可解で、それだけに魅力的な謎が立ち現れて、王道の本格ミステリであることに気づかされる。勤勉で、争いもなく、すべての人が平等に暮らしていた村での事件。誰が、何のために、どうやって預言者を殺したのかという疑問が、読者の関心を惹かずにはおかない。一見善良そうな村人たちが、心の奥にさまざまな思惑を隠していることは、よそ者であるキフカが疑惑を向けられ、覆面をかぶった男たちに暴行されるというシーンから明らかだ。一見非の打ち所のないユートピア。しかしそれは偽りの楽園ではないかという疑念が、徐々に兆してくる。
やがてぎりぎりの均衡を保っていた世界が、完全に崩れ去る瞬間が訪れる。楽園が隠し持ってきた秘密が白日のもとにさらされ、未明は驚愕の事実を知る。ミステリには世界観それ自体が、全体の仕掛けと絡み合っている作品があるが、本書もまさにそのタイプに属するものだ。具体的な作例をあげるわけにはいかないが、たとえば綾辻行人や服部まゆみ、皆川博子らが好んで描いてきた、主人公を取り巻く世界そのものがひとつの謎であるような物語。おそらくはそういう系統の、私好みの幻想ミステリだと確信してページを捲っていたが、まさかここまでの大仕掛けとは。いくつもの伏線が鮮やかに繫がり、世界の真の姿を浮き彫りにする、その瞬間の残酷なまでの衝撃。
それにしても真実を知るとは、悲しい行為であると思う。キフカにある事実を告げられることがなかったら、未明は優しい世界でいつまでも生きていられた。しかし一度世界の実像に触れてしまった彼女は、もとの生活には戻れない。「真実ってのはな、知る前には戻れないんだよ」とキフカが語るように。この小説を読んで浮かんできたのは「幼年期の終わり」という言葉である。アーサー・C・クラークの長編のタイトルだが、原題はChildhood’s End。まさに無垢で幸福な子供時代は終わりを告げ、未明は苦い大人時代に足を踏み入れる。
なお本書はこの先にも、さらに大きな展開が待ち受けている。二重三重のサプライズに圧倒されるが(猛烈に語りたいがここで語るわけにはいかない)、真実から目を背けず、知ることを諦めない未明の姿が印象的だ。「私は、このまま真実も現実もなにもなかったことになるなんて、いやだよ」という未明の言葉は、自分にとって都合のいい“事実”に飛びつき、偽りの安楽を選び取ってしまうことの多い現代人の耳を鋭く打つ。
2015年のデビュー作『サナキの森』以来、幻想と現実の拮抗をさまざまな形で描いてきた彩藤アザミは、本書において大きく幻想の領域にジャンプし、素晴らしい成果を持ち帰った。美しく、悲痛で、凜々しくもある『正しい世界の壊しかた─最果ての果ての殺人─』は、この先しばらく彩藤アザミの代表作に数え上げられるだろう。日本の幻想ミステリの系譜に、新たな傑作が加わったことを喜びたい。
(あさみや・うんが 書評家)