インタビュー
2025年9月号掲載
特集 新潮クレスト・ブックス フェア 特別インタビュー
かつての私は「獲物」だった
少女時代、継父にレイプされていた。その過酷な体験を綴った『悲しき虎』の著者が語る。
対象書籍名:『悲しき虎』
対象著者:ネージュ・シンノ/飛幡祐規 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590202-5

聞き手・翻訳 飛幡祐規
――『悲しき虎』はフランスでの刊行から二年を経ずに三〇万部を記録し、翻訳権も三〇か国以上に売れました。フェミナ賞、高校生が選ぶゴンクール賞、ル・モンド文学賞などたくさんの文学賞を受賞されています。これほどの反響を予想されていたでしょうか。
フランスやたくさんの国でこの本が評価されたことは嬉しく、光栄です。本がどのように受けとめられるか、前もってはわかりません。それに私は、子どもへの暴力について語ることに対して、社会の中に抵抗があるのを承知していました。とても悲痛なテーマだからです。でも私は、作品の中に自分のエネルギーと怒り、知性のすべてを注ぎ込みました。それが作品に特殊な力を与えたようで、性暴力に対する告発が広がる社会の激変に私自身も参加できているという印象を持ちました。
――タイトルの『悲しき虎』という言葉にはどんな思いが込められているのでしょうか。日本では、虎は強くて憧れの対象になることもある動物です。英文科出身でない一般の読者には、タイトルのもとになっているウィリアム・ブレイクの有名な「虎」の詩は、それほどなじみがないのですが。
このタイトルは私にとって多くの響きを持ち、さまざまな意味とシンボルを内包しています。最も顕著な象徴は暴力です。虎のように恐ろしく、惹きつける力を持つ加害者/捕食者は、被害者/獲物を絶対的に支配します。絶対的な力を持つ虎(捕食者)に人は感嘆します。一方、私は逃げられる可能性がない獲物でした。この作品で私は、両者のあいだの複雑な関係を示し、言語の力で観点を変えることによって、暴力や権力者に価値を与えることの問題点を読者に感じてほしいと思いました。論理と知性を働かせると、性的虐待者、つまり権力を濫用して他者を貶める人物がいかに惨めで情けない人間か、「哀れなやつ」、「悲しき虎」であるかが見えてきます。
しかし、このタイトルには他にもたくさんの虎、さまざまな矛盾と逆説的な要素が結集されています。怒り、悲しみ、力強さと弱さ、喜びとメランコリーなど、この作品全体を貫いて共存する感情のすべてを読者が感じられるように。
――自分の性的虐待について、あるとき書く決心をされたのはどんなきっかけからでしょうか。また、それまで一人称を使わなかったのにあえて一人称で書くことにしたのはなぜですか。
性的虐待を語るタブーを破ることは容易ではありませんが、ひとたび一歩を踏み出すと、解放的な力に支えられました。きっかけは、メキシコのチアパスでサパティスタ民族解放軍の社会運動の女性たちが主催した国際集会*への参加です。暴力が遍在するメキシコでのフェミニストの反逆という、決定的な瞬間を私は体験しました。世界各地から集まった大勢の女性たちは、自分が受けた性暴力を語りました。私はそこで、子どもへの性的虐待がものすごく蔓延した現象であり、あらゆる国、文化、階層の人に共通の不幸なのだと認識しました。子どものときに受けた暴力と悲しみのせいで自分の中で感じていた孤独は、多くの人が共有しているのだと、頭だけでなく身体、自己の存在全部で深く理解したのです。この認識から、私は一人称で自分の体験を書く決心をしました。その一人称は個人的な「私」ではなく、共通の集団の悲劇が反映されたものなのです。
――#MeToo運動など、女性や被害者が声をあげることができるようになった社会の変化をどう見ていらっしゃいますか。フランスでも告発や裁判が増えていますが、性暴力撤廃への政治的な意思はひどく不十分で、「レイプ文化」がいまだ維持されている面があります。なぜこれほど社会の「否認」は強力なのでしょうか。そして、どうしたらそんな社会を変えられるとお考えでしょうか。
社会的な「否認」は、家庭内から政界に至るすべてのレベルに及んでいて、その理由はたくさんあると思います。主要な原因の一つは、あらゆる部門で不均衡な力関係が存在し、権力を持つ強者たちは、罰せられずに他の人々を自分の好きなように使えると思っていることです。
この状況を変えるには、何世紀も前から私たちが自明のものとしてきた生き方や習慣の多くを変えなくてはならないでしょう。でも、やってみたらいいのではないでしょうか。それには、子ども時代を最も重要なものとして優先的に考えることが大切だと思います。子ども時代をあらゆる人間の生の中枢、未来を創造する「るつぼ」と見ることで、世界を変えるのです。
*メキシコで最も貧しい州とされるチアパス州で、先住民の権利、農民の生活向上と自治を掲げるサパティスタ民族解放軍が2019年12月末に主催した、二回目の「闘う女性たちの国際集会」(女性だけの大規模な集まり)。
(ネージュ・シンノ)