書評
2025年10月号掲載
角田光代『神さまショッピング』刊行記念特集
アゲ鑑定と「信じる」のあいだで
対象書籍名:『神さまショッピング』
対象著者:角田光代
対象書籍ISBN:978-4-10-434609-7
「アゲ鑑定」という言葉がある。占い業界だけで通用するジャーゴンだ。相談客に、占いで出た結果とは関係なく、相手が求める言葉だけを伝えて気持よくさせる、つまり気分を「アゲ」させる占いを言う。
占いなんて気休めなのだから、それでいいではないか、不吉な予言を並べ立てて脅すよりずっとヘルシーだろう、「アゲ鑑定」をしてくれる占い師は善い占い師だ……そう思えるあなたは占いに毒されていない。醒めた目で占いを見ている向きにはポジティブに響くであろうこの言葉は、実は多くの占い師にとってはかなり侮蔑なのだ。
良い結果だけを告げれば確かに客は喜ぶ。外れたとしても、慰めを求めてもう一度占ってくれと何度もリピートする。さらに、中毒性のある優しい言葉に惹かれ、別の問題でも相談にくるかもしれない。「アゲ鑑定」は占いの本質を歪めて金儲けに走る堕落した占い師の所業だ、というのがこの「業界」での通念なのである。
古来、占いは同じ質問にたいしては「一回だけ」真剣に行うものだとされてきた。これは東西を問わないルールである。易では「初筮は告ぐ。再三すれば瀆る。瀆るれば則ち告げず」(最初の占いは真実を告げる。何度もやると汚れる。そうなると当たらなくなる)とされる。何度も同じ問題をかかえてリピートする客を作るなどというのは、占いの倫理から外れる。マジメな占い師ほど「アゲ鑑定」という評を嫌がるわけだ。
そういうマジメな占い師は自分の望む答えだけを求めて占い師を転々と渡り歩く相談者、つまりドクターショッピングならぬ占い師ショッピングを続ける依存的な客も歓迎はしないだろう。「善い」占い師ならその依存的な浮遊状態をストップさせようとさえ心を砕くだろう。
それが占いの良心であり、本道だというのは僕もよくわかる。だが、そこまで「良心的」に、もっといえば占いに対してまっすぐで純粋にもなれない僕もいるのである。
こう書いている今、子どものころ聞いた大ヒット曲「ハートのエースが出てこない」(キャンディーズ)が何度も脳内再生される。「願いをこめ あいつとのことを 恋占いしてるのに ハートのエースが出てこない ハートのエースが出てこない やめられないこのままじゃ」。大きな声では言えないけれど、僕だって何度も「占い直す」ことはある。「やめられないこのままじゃ」の誘惑に飲まれるのである。
未熟さ、情けなさと笑いたければ笑えばよい。が、僕は強く思う。これを笑える人はよほどの聖人か、あるいは人の心の精妙な動きを感知しない愚鈍な輩であろうと。そしてそういう輩は角田光代『神さまショッピング』を読んで己の鈍感さを顧みるべきだと。
この短編集には自分の心の深い所にうごめく疑念や罪悪感、人に言えぬ想いを抱えた登場人物たちが自分だけの「神さま」を求めて旅する物語が描かれる。父の死を、寿命の延長を願うもの、いかんともしがたい罪悪感への贖罪を求めるもの……心を支え信じることができる「神さま」を探す現代の巡礼者たち。だが、彼女たちは「神さま」を目の前にしても揺れ動く。「神さま」と自分の間にある薄い、しかし確固たるバリアの前で逡巡する。彼女たちの巡礼にはカタルシスも達成感もなく、結果、終着点もないのである。やるせないし、無駄で不毛だと言われたらそれまでだ。だが、真摯に信じようとすればするほど「信」には届かないというこのパラドクスこそ、人の心の実相ではないだろうか。
そもそも巡礼者ピルグリムとは土地(ager)を通り抜ける(per)者(inus)を語源とする。一つ所に留まることができない、永遠の異邦人が巡礼者なのだ。安易に定住できる者は巡礼などできない。
考えてもみて欲しい。そもそも信じることを人は決断できるのか、自分で信じると決められるくらいなら、それは本当に信じているといえる強度を持っているのか。そしてその「信じる」は真実にたいしてのものなのか、単に騙されて自らの主体性を誰かに明け渡すだけのものではないのか。この作品には、日常のなかに潜む、パラドクスとアイロニーに満ちたヒリヒリするような「信じたい気持ち」が驚くほどの解像度で描かれているのである。そこに浮かび上がるのは、何かを信じられぬ弱い人間ではあるが、その弱い心を抱えて生きようとする誠実な人の姿なのだ。
そうそう、最後にもう一つだけ。『神さまショッピング』のもう一つの魅力は日本を含め世界各地の「神さま」の地の素敵なガイドになっていること。旅好きな作者のことだ。実際に取材された聖地が多く描写されているのだと推察する。生き生きとした聖地の描写に導かれ、読者は居ながらにして世界中に「巡礼」に出ることができる。この本は素晴らしいバーチャル・ピルグリムのガイドとしても読めると付け加えておこう。
(かがみ・りゅうじ 心理占星術研究家・翻訳家)