書評

2025年10月号掲載

「女神」という名の「呪い」

カテジナ・トゥチコヴァー、阿部賢一 訳、豊島美波 訳『ジートコヴァーの最後の女神たち』
(新潮クレスト・ブックス)

高山羽根子

対象書籍名:『ジートコヴァーの最後の女神たち』
対象著者:カテジナ・トゥチコヴァー/阿部賢一 訳、豊島美波 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590203-2

 かつて私自身の子ども部屋に貼られた地図にあったのは、チェコスロヴァキアという国だった。けれどその後学校で教材として使っていた地図帳で、その国はいつの間にかチェコとスロヴァキアというふたつの国になっていた。
 この物語の舞台となるチェコ共和国は、ふたつの世界大戦の以前からその在り様を変え続けてきた。第一次大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊して成ったチェコスロヴァキア共和国は、その後ナチス・ドイツによって一度地図から姿を消す。戦後は社会主義国となり、プラハの春を経てその反動から警察国家へ、そして1990年代に二つの国へと分離していった。
 チェコのジートコヴァーという地域にかつて「女神」と呼ばれる特殊な役割を持つ女性たちがいた。女性の血筋によって継承されている女神たちは、薬草を使って病を治し、ときに天候をコントロールし、呪いを行って、医療行為や地域のトラブル等の相談を受けていた。しかし今世紀頭に、最後の女神が亡くなったことでその文化は途絶える。この物語はインターネットだけで情報のやり取りが難しい程度の、つまり現代よりも少し前の時代、ドラという女性研究者の視点で語られる。
 女神の文化は実在するけれど、この物語のすべてが事実かというと、そういうわけではない。それはまさに女神の存在が事実で、実際に遺族がまだ社会に生きているからだ。戯曲家で美術史家、かつ人権活動家でもある作者のトゥチコヴァーは、主人公のドラのように綿密な取材をし、それをもとに物語の形でこれをあらわした。
 女神たちの文化について研究をしているドラは、自身も女神の役割を担ってきた血筋に生まれた。母親が父親に殺された後、彼女は障害を持つ弟と共に伯母の女神スルメナに育てられ、彼女の女神としての仕事を手伝っていた。やがて民族学の研究をするようになったドラは、女神についての資料を集めてそれを追ううち、自身の幼いころの記憶が呼び起こされていくようになる。
 膨大なアーカイブの中から伯母スルメナの痕跡を探し続け、役所や図書館、文書館などに散らばる資料を集める中で、ドラは自身の記憶と向き合い続ける。資料は魔女裁判の記録や病院のカルテ、警察の秘密調査結果、新聞記事、個人的な書簡など多様だった。資料を読み、書き写し、地域の人たちと対話する中でドラの記憶が鮮明になっていく物語は、アーカイブ・サスペンスともいうべきダイナミズムにあふれている。
 体制が移り変わり続ける国の中で、女神たちは一貫して疎まれてきた。キリスト教社会の敵、社会主義国家の敵、先端医科学の敵。聖職者や医者、科学と相容れない風習を持つ女神は、反社会的とされ、その時代ごとの社会で拷問や治療を受ける。
 調査のなかでドラは「親衛隊(SS)魔女特殊部隊ヘクセン・コマンド」という存在があったことを知る。ナチス・ドイツは、この地域に古くからある魔術的な民間信仰の風習にひかれ、彼女たちのことを研究していた。女神たちの神秘性、オカルト性はアーリア人の民族意識と結びつけられ、増幅され、女神は民族意識高揚のシンボルと考えられた。彼女たちは、母や妻である上に巫女の役割まで押し付けられた。
 またドラは、別の女神によって自分の血筋にかけられた呪いの話を聞き、かつてスルメナがどのようにその呪いにあらがって戦っていたかを知ることになる。学者として呪いの存在を疑う一方、それを支えているのが自分の生きる社会に根付き、浸透しきっている精神性であることに、ドラは愕然とする。
 資料はいくつもの言語によって書かれていたが女神自身によるものはほとんどなく、第三者が残したものばかりだ。ドラは、かつてスルメナに届いた手紙を自身が代わりに読んであげていたことを思い出す。つまり女神たちの多くは文字の読み書きができなかった。女神たちのドキュメントを辿ること、しかし女神たち自身はそれを残せなかったこと。文字と資料についてのこのふたつの事実は、本作中においてとても重要になる。物語というものはそれ自体魔術的で、過去の記述や資料を読み解く行為もまた、世間において魔術的なものとして扱われることがある。この物語の作者は、これをきわめて示唆的に、自覚的に描いている。
 ドラに待ち受ける運命とともに、呪いとアーカイブの入れ子構造の物語は閉じられる。この物語がいま、この国で読まれることは、多くの人が思う以上にとても大きな意味がある。

(たかやま・はねこ 作家)

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