書評
2025年11月号掲載
いしいしんじ『チェロ湖』刊行記念特集
命そのものの再現
対象書籍名:『チェロ湖』
対象著者:いしいしんじ
対象書籍ISBN:978-4-10-436305-6
かつて寺田寅彦は随筆「地図をながめて」に記した。
〈地形図の中の任意の一寸角をとって、その中に盛り込まれただけのあらゆる知識をわれらの「日本語」に翻訳しなければならないとなったらそれはたいへんである〉
地形図だけではない。目の前に確かにあるものを言葉で表すのはいかに難しいことだろう。「新潮」で約4年半連載した大河小説『チェロ湖』で著者が試みたのは、結果的にはチェロに似た形をした湖の全体像を自身の文章で可視化することだった、と言えそうである。それは無数の命が織りなすこの世界、言い換えれば命そのものの再現だったかもしれない。
およそ100年にわたり琵琶湖と思しき〈うみ〉のほとりに暮らす一家4代の歴史を描く。4代目の〈若い男〉が1900年代、10年代、20年代……と年代別に整理された蓄音器の針のコレクションから1本を選び、釣り針代わりに湖に垂らす。あたかも1枚のレコード盤のごとく湖は往時の一家の挿話を語り出し、折々に奏でられる古今東西の歌曲が架け橋となって時代を繫ぐ。なぜ〈若い男〉は湖に先祖の物語を求めるのか。小さかった謎が次第に膨らみを増し、同時に喪失の気配がひっそりと物語を包み始める。
まさに野人の2代目〈四人〉、蓄音器の音楽に憑かれた幼なじみの妻〈千〉、天賦の才を持つチェリストの娘〈千四子〉。3人が物語の軸である。寓話的な四人の冒険譚が語られたかと思えば、千四子が都会で遭った空襲の様子が迫真の筆で描かれる。戦後、妖精めいた建築家の先導で人々がヨシの大橋を架けるくだりは一見おとぎ話のようでいて、この国がひたすら経済成長と開発に明け暮れ、数多の命を奪いながらコンクリートの構造物を乱立させた愚かさを逆説的に浮き彫りにする。
リアリズム一辺倒では語り尽くせず、時に幻想の力を借り、時にユーモラスなホラ話を語り、時に魔術的な怪奇譚へと脱線しながら、諧謔や文明批評の精神も漲らせ、著者は〈うみ〉こそが命そのものだと綴ってゆく。謂ってみれば本作は幻想と現実がせめぎ合う、色とりどりの物語のるつぼである。近現代の叙事詩と呼ぶべき壮大な構えで、その混沌ぶりは固有種も〈ガイライシュ〉も分け隔てなく、あらゆる命を育み、呑み込む〈うみ〉そのものとオーバーラップする。水辺を舞台に生き物の種や空間、そして生と死の境までもが溶解する神秘的世界が広がる点は、『みずうみ』『海と山のピアノ』といった過去作に通ずる。
命を奪うことでできあがる料理の描写にたびたび行数が費やされる一方で、我が子を慈しむ母の思いも叙情的に奏でられる。形あるものは皆壊れ、個々の命はいつか果てる。終盤思いがけないカタストロフが訪れるが、それゆえにこそ命そのものがそこにあったと感じさせる力業で本作は幕を閉じた。酷薄であり残酷であり、そして優しくも美しくもある命の営み──。〈若い男〉にまつわる謎が解き明かされる時、清冽な湖水の奥底から鳴り響く、再生の序曲が確かに聞こえた。
冒頭の引用に話を転じれば、いかなる瞬間にも命は厳然としてここにあり、無数の命が絡み合い、溶け合いながら世界は成り立つ。しかしかつて命そのものを捉え得た文章はあったろうか。誕生の瞬間を描く。死を見つめて逆照射する。食物連鎖の意味を説く。青春の輝きや老いの残照をもって語らしめる。いずれも命とは何かとの問いに一定の答えを与えはしても、今この瞬間、世界をかたちづくる命のシンフォニーを言葉に置き換えることはほぼ不可能に映る。そこに永遠を感じ、著者は900頁以上の紙幅を割いて一大事業に挑んだのではなかろうか。音楽的な心地よさを秘めながらも1枚の絵を思わせる静謐な佇まいは、おそらく若き日の著者が画家を志したことと無関係ではない。
喪失の悲しみを幾重にも塗り込めた初の長編小説『ぶらんこ乗り』を発表してから25年。さながら日本アルプスから遠く離れた孤独な峰を登攀するごとく、著者は日本文学の系譜から切り離された独自の道を歩んできた。それは『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、『ある一日』で織田作之助賞、『悪声』で河合隼雄物語賞という受賞歴からも窺われる。命とこの世界への哀惜は四半世紀前そのままに、小利口に世界を解釈することなく、独り世界と対峙して築き上げた文学である。徒に標高のみを競うのでなく、どっしりと裾野を広げ人々を受け止める雄大な独立峰として、いしい文学はそびえる。その頂で今、『チェロ湖』はあなたが辿り着く時を待っている。
作中の〈若い男〉の〈ものがたり釣り〉は、蓄音器でレコードの音楽を奏でた痕跡のない針ではうまくいかない。人は人生というレコード盤を自らの心の針で刻み、喜怒哀楽の表情は別として自分だけの音色を奏でながら生きている。蓋しその人がこれまで奏でた曲の数だけ、あるいはその幅の広さだけ、〈ものがたり釣り〉は複雑な光を放ち、翳りを帯びる。『チェロ湖』を開いて〈ものがたり釣り〉をする時、どんな音色があなたの心の反響板を揺らすだろうか。圧倒的かつ肯定的な調べであることは、ほとんど疑う余地がない。
(たけだ・ひろまさ 文芸記者)

