書評

2025年11月号掲載

春画研究を拓いたR・レインさんのこと

リチャード・レイン、浅野秀剛、芸術新潮編集部『蔦屋重三郎のエロチカ 歌麿の春画と吉原』(とんぼの本)

平賀弦也

対象書籍名:『蔦屋重三郎のエロチカ 歌麿の春画と吉原』
対象著者:リチャード・レイン、浅野秀剛/芸術新潮編集部 編
対象書籍ISBN:978-4-10-602311-8

 ひとむかし前の春画ブームを牽引した林美一さんとリチャード・レインさんは、どちらも組織に所属しない独立研究者だった。浮世絵の母国日本でも、富裕な愛好家が蒐めた優れた浮世絵コレクションを各地の美術館に擁する米国でも、春画はながくタブー視されていたのだから当然か。ことに日本では刑法一七五条が重くのしかかり、研究成果の公表さえままならない時代が長くつづいた。
 潮目が変わりはじめたのは二十世紀の末、「芸術新潮」1988年3月号が林氏監修による「浮世絵の極み 春画」を掲載したあたりから。翌年から1993年にかけて、林氏は北斎、歌麿、春信、国芳、広重とつづいた同誌の浮世絵特集に寄稿し、1994年にはレイン氏の「浮世絵 消された春画」が掲載された。欧米のコレクターが春画を嫌ったため、日本の浮世絵商たちは、オリジナル版画の「不適切」な部分を切除し、別作品の美人図などを象嵌したパッチワーク版画を売りつけた。それがバレないくらいの超絶技巧をもつ版画修復師が大正期の日本にはいたのである。米国のいくつかのコレクションのカタログでは、こうした改竄版画が「他に類例のない」作品として記載されている、といういささか情けない実態を暴いた画期的な特集で、すこし間をおいた2002年と2003年にもレイン氏による北斎と歌麿の特集が掲載された。
 劈頭の「浮世絵の極み」を担当した縁で、わたしはこれらすべての特集に関わり、晩年のおふたりに接する機会をえた。林さんは膨大な量の黄表紙、読本類を読破し、絵師たちの描き癖や細部の特徴を目に焼きつけ、また時代風俗に詳しく、戯作者たちの文意を読み解くことに長けていた。レインさんはコロンビア大学で日本文学の博士号を取得、ホノルル美術館では客員研究員に任じられ、またシカゴ美術館の浮世絵版画目録の監修も手がけている。1950年代末から日本に住まい、自身で美術品を買ったり売ったりしながら独自の画像アーカイヴを構築し、世界のどこにどんな作品が所蔵されているか、知悉していた。自著に掲載する図版には強いこだわりをもち、編集部で入手した写真原稿はレインさんのチェックを経なければ使わせてもらえなかったし、内外の美術館から写真を借りるばあいも、春信「雪中相合傘」はどこ、北斎「赤富士」はどこと、作品ごとに所蔵館を指定された。レインさんの著作の掲載図版はどれも厳選されていて(美的価値より資料的価値を優先することもあったようだ)、他の書籍の掲載図版と見較べると、思いがけない発見にいたることもある。
 2002年の「北斎のラスト・エロチカ」では『喜能会之故真通』の「蛸と海女」の図を掲載した。北斎自作とされる書き入れ文を紹介するため変体仮名を書き起こし、校正ねがいます、と送信すると、日本語の本が何冊も出ているだろう、と返信がきた。それが信頼できないから頼んでいるんだと、某出版社の一冊をコピーして送信すると、あまりの杜撰さに驚愕したらしく、ていねいにチェックしてくれた。春画ブームといっても、そのていどのごく底の浅いものだったのだ。この特集ではレインさんの本論のほか、北斎の画歴をたどるQ&Aテキストを付したが、その初校ゲラに、自著『伝記画集 北斎』は二つの賞をもらった、そのことを付記してもらえないかと書かれていた。いまさら行数を動かしたくはなかったが、無視するわけにもいかない。北斎の画風が多様で捉えにくいことが、この伝記画集を書いた理由だと結ぶパラグラフの最後に、〈幸い日本浮世絵協会賞と京都大学の人文科学研究奨励賞をいただくことができました。北斎先生のおかげです〉と加筆して(そのぶん他を削除)送ると、当該箇所に「御工夫ありがとうございます」と書き添えたゲラが返信されてきた。終の住処と定めた日本での受賞がよほど嬉しかったものか。
 2005年、わたしはとんぼの本『歌麿の謎 美人画と春画』の編集を手伝うことになった。林さん、レインさんによる二本の歌麿特集を合体したもので、おふたりはすでに亡く(林さんは1999年に、レインさんは2002年に他界された)、旧稿を再使用するほかない。なんとか新味がだせないものかと、自分なりの視点で見つけた歌麿版画の特質に関するテキストを、今回と同じ筆名で添えることにした。林さんもレインさんもつねにリサーチを怠らず、発表にさいしては最新の成果を盛り込もうとつとめていた、それにならいたかったのだ。今回の『蔦屋重三郎のエロチカ 歌麿の春画と吉原』のレインさんのテキストも、若き日の歌麿が蔦重の援助をえて創出した春画「歌満くら」がなぜ不人気だったのか、重三郎の死後にどのように復活したのかなど、いまなお新鮮な示唆にとむ。林さんとレインさんには、あと十年、いや五年でもながらえて、刺激的な研究成果を発表しつづけていただきたかった。

(ひらが・げんなり 元編集者)

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