書評
2025年11月号掲載
私の夢想を実現した四兄弟
石原伸晃、石原良純、石原宏高、石原延啓『石原家の兄弟』
対象書籍名:『石原家の兄弟』
対象著者:石原伸晃/石原良純/石原宏高/石原延啓
対象書籍ISBN:978-4-10-387503-1
「石原家の四兄弟がそろって、石原家の来し方行く末についての本を書きました!」
そう聞いたときから、これは読みたい、読まなければと思った。
何しろ、「あの」石原慎太郎の子どもたちである。その過激さに、半世紀以上も前でさえ物議をかもしたベストセラー(いまはどこも出版元になる勇気がなく絶版になっている)『スパルタ教育』で育てられた当事者たちなのだ。本当のところ、いったいどんな教育を受けたのか、大人になった現在、その育てられ方をどのように受け止めているのか、是非とも聞いてみたいではないか。
興味を抱いたのには、また別の理由もある。
わたくし事になるが、むかし、『父の縁側、私の書斎』という本を上梓した。ふだん私の書いたものにまったく関心を示さない妹が、(たぶん、昔の家の間取りについて、あれこれ尋ねたせいだと思うが)珍しく熱心に読んで、「お姉ちゃんの書いたものの中で一番おもしろい」と(他は大して読んでもいないくせに)褒めてくれた。すっかり忘れていたことを思い出したり、そんなことがあったのかとびっくりしたり、やっと腑に落ちたことがたくさんあったのだそうだ。私の方も、新鮮な驚きを感じていた。そうか、あの記憶もこの記憶も、家族全員で共有していたわけではないのか。兄は私より一歳半近く上、妹は一歳半あまり下。同じ年頃の子どもが、同じ食卓を囲んで、我が家に起こる出来事を同じように経験していたとばかり思っていたが、それぞれがちがう景色を見、ちがう言葉を聞き、まったくちがうことを感じていたらしい。そのとき、ちょっと夢想した。兄や妹が、父について、また母について、あれこれ思い出して書いてくれれば、私のおぼろげな記憶は補完され、父母の像がより立体的なものになるだろうに。過去もきっと、より豊かになる。夢想しただけで、口には出さずに終わったけれど。
さて、石原四兄弟である。私が夢想した通りのことが、この本では実現されていた。「趣味は石原慎太郎」と公言し、夫の死後、わずかひと月余りで夫の元へと旅立った「母の肖像」を描くところから始まり、叔父・裕次郎のこと、家の思い出、教育はもちろん、自分たちの仕事から結婚、介護、親亡き後の相続まで。テーマは多岐にわたり、それぞれが、それぞれの見たこと聞いたこと、感じたことを書く。四兄弟は、いちばん上といちばん下で十歳近い歳の差があり、当然、時代も親との距離感もちがっているから、読者はいろいろな角度から石原家を眺めることができる。そんな全編を通して浮かび上がってきたのは……、なんと言っても「石原慎太郎」。圧倒的に「石原慎太郎」。
いやはや、エライ人である。単純に「偉い」というのではない。関西弁でよく言う、「エライこっちゃ」の雰囲気を持った「エライ」。壮大な夢を描き、大きな仕事をし、並外れた行動力を持つが、たいてい周りがそのとばっちりを受ける。まあ、みなさん、よく辛抱なさいました。
たとえば「お正月」がテーマの章がある。正月は家族が集まって一緒に過ごすもの、と、ある年、父親は家族を打ち連れて有名温泉旅館に出かける。ところが「温泉は一度入れば充分」という人であるから、すぐに「つまらん」と言い出し、大騒ぎで別の場所を探し全員で移動。思いつきで勝手に旅行先を決めるが、本人がドタキャン、あるいは皆を残し、一人で先に帰ってしまうこともしばしばだったらしい。しかし、正月に限らず、国内、海外を含めて家族旅行は思いのほか多く、それが四人兄弟それぞれの心に深く刻まれているのも事実のようだった。
だがやはり、石原慎太郎の子育ての真髄が現れているのは、「海」の章かもしれない。
亡くなる三日前、見舞いに来た長男の妻に、ほとんど喋らなくなっていた慎太郎が突然、「顔に水をかけろ」と命じた。意味がわからず戸惑っていると、「早くしろ、バカっ!!」と、往年の迫力で怒鳴ったという。その話を聞いて、長男は、すぐにピン、とくる。ヨットで疾走中に顔にかかる水飛沫を懐かしんでいるのだ、と。
「ピン、と」きたところに感心した。それこそが、慎太郎流の子育ての成果である。「僕ら兄弟は小さい時から親父に海へ引っぱり出された」と、次男も書いているように、否も応もなく子どもたちを海に連れ出したのは、自分と感動を分かち合える人間を育てたかったからなのだろう。
最期のとき、「なぁ、俺の人生は素晴らしかったよな」と長男に尋ねたという。四人の子どもたちが作り上げた本を読んで思った。
「あなた様の人生は、死後も変わらず素晴らしいです」
(だん・ふみ 俳優)


