書評

2025年11月号掲載

視線の余裕がもたらす歌の豊穣

三枝昂之『百年の短歌』(新潮選書)

永田和宏

対象書籍名:『百年の短歌』
対象著者:三枝昂之
対象書籍ISBN:978-4-10-603936-2

 三枝昻之は、現代短歌の書き手として私がもっとも信頼してきた歌人である。長年の友であり、五〇年を越える同行者であるが、彼が同年代に居てくれたことは、私にとって大きな安心であり、励ましでもあった。
 私たちが歌を始めた頃、「第二芸術論」の余波からまだ抜け出せないままに、短歌は日陰者の文学であった。電車で歌集を開くなど、とてもできない雰囲気でもあったのである。そんななかで、私と三枝は、歌人は歌だけ作っていては駄目なのだ、評論活動のなかで短歌の復権をはからなければならないと、それには詩としての原理論こそが大切なのだなどと、酔いのままに異常に熱く語りあったものだった。その中から、三枝に『現代定型論』が生まれ、私は『定型短歌論』を出すことになった。共に三〇代前半の仕事である。
 三枝昻之の評論活動、研究活動はその後も絶えることなく続き、三部作とも言うべき『前川佐美雄』『昭和短歌の精神史』『佐佐木信綱と短歌の百年』に結実することとなった。いずれも重厚な評論集(研究書)で、ここまで精緻に調べるかと感心し、そのなかで見事に三枝昻之のくっきりと見える視線を頼もしく読んだものである。現代歌人のなかで、三枝以上に短歌史を整然とため込み、自らの言葉として語り得る歌人はいないはずである。
 今回の『百年の短歌』は、「波」連載時から楽しみに読んでいたものであるが、一冊にまとまってみると、読みやすい言葉の展開のなかに、やはりくっきりと三枝昻之の視線を感じることができたのはうれしいことであった。近代以降の百人余りの歌人の作品を採り上げ、その作品がなぜ私たちに訴えてくるのか、その背景とともに時代が浮かび上がってくるようだ。
 本書の構成は春夏秋冬の四季、それに「時代と人生」「折々の歌」の六部構成になっているが、「春」の部の二人目に登場するのが、柳田國男であり、この択びにも本書の特色が出ている。いわゆる歌人だけでなく、歌人以外の文人たちの歌にも広く目が行き届いているところである。

にひとしの清らわか水くみ上けてさらにいつみのちからをそおもふ柳田國男 

 新年の歌であるが、「柳田國男は幼い頃から和歌に親しみ森鷗外が創刊した「しがらみ草紙」第二号(明治二十二年十一月)に短歌を寄稿、以後晩年まで折々に詠み続けた」と説明があり、ほとんど柳田の歌に注目してこなかった私などは、そうだったのかと思わざるを得ない。
 さらに、第二芸術論の渦のなかの短歌否定論に対する柳田の「短歌が文学であるか否かを論ずる人は、多分えらいのでありませうが、気の毒や日本の行掛りをまだ知つて居ません」という発言を引きつつ、「日本の行掛り、歌垣や酒宴歌、盆踊りの即興歌や歌合など歌にはそもそも人界の実用があり、『おもやいのもの』つまり国民全体のものだった。だから芸術主義だけでは短歌の理解は間に合わないと説いている。短歌論として不可欠な観点だろう」と、三枝による解説が続くのである。
 単なる歌の鑑賞を越えて、その歌人の発言やエピソードを交えることによって、立体的に一人ひとりを浮かび上がらせるところに本書の大きな特徴がある。
「あとがき」に「短歌は塚本邦雄や与謝野晶子のようなスーパーエリートだけの詩型ではない。私の父のように日記代わりの暮らしの文芸でもあり、文人が余技のように楽しむ遊びの詩型でもあり、〈私〉を超えた晴の歌の詩型でもある。その奥行きと幅広さにこそ、この詩型のかけがえのなさがある」と綴っているが、これが本書に託した三枝昻之の短歌論の現在でもあろう。

〈サオになれ カギになれ〉わが幼らの声の遥けし鶴帰りゆく清原日出夫 

 歌人を採り上げるのに、その歌人の代表歌ではない歌が採り上げられているのも本書の特色である。
 清原ならすぐに「一瞬に引きちぎられしわがシャツを警官は素早く後方に捨つ」などの安保闘争時の歌を引きたくなるものだが、三枝は、安易に代表歌に寄りかかって無難な鑑賞をという態度を捨て、現在の時点でその歌人のなかに、何が大切な要素であるかを探そうとしているようでもある。そのなかで、例えばこの一首に「舞う鶴の群れを子らが囃し立て、無垢の声が夕空に広がる。歌には季節の、そして日々の暮らしの平穏を願う心がこもっている」「激動の時代を受け止めた青春歌もいいが、それを経た百年変わらない市井のリリカルな祈りに私はより心惹かれる」と述べるくだりなどに、本書を通じて見られる、短歌史を見る〈視線の余裕〉を感じるのは私だけであろうか。
 その〈視線の余裕〉こそが、一首一首の歌を短歌史のなかにより深く定着させる作用を持ち、それによって、歌がより広くまた豊かな息衝きをもった世界へと、飛翔する力を獲得するようにも思うのである。

(ながた・かずひろ 歌人・細胞生物学者)

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