書評
2025年11月号掲載
今月の新潮文庫
将棋小説の最高峰がここにある
橋本長道『銀将の奇跡─覇王の譜2─』
対象書籍名:『銀将の奇跡─覇王の譜2─』
対象著者:橋本長道
対象書籍ISBN:978-4-10-104182-7
前作『覇王の譜』は、ルサンチマンによって潰れかけた青年が、自身を見つめ直し、ひとかどの棋士に至るまでの物語であった。
小学生名人戦優勝という実績をひっさげ奨励会に入会した直江大は、十八歳で四段に昇段しプロ棋士になった。十代のうちにプロになるのはエリートの証拠だ。しかしそれからは雌伏の時が続いた。毎年好成績をあげながら、順位戦ではここぞという時に敗れ、最下級のC級2組から何年も脱出できずにいたのだ。
奨励会の同期生に剛力英明がいた。入会当時は実績も実力も直江が上だったが、わずか数年で立場は逆転する。剛力は十五歳でプロ入りし順調に昇級昇段を果たしていく。さらに数年前、直江は挑戦者決定戦で剛力に敗れてしまう。勝った剛力はタイトル奪取にも成功し、一躍トップ棋士の一人に駆け上がった。日本将棋連盟の「政治」にも関心を寄せる剛力は、直江を政争の道具として利用しようとする。そのことが原因の一つとなり、二人は決裂し、その結果直江は苦しい状況に追い込まれる。だがそこから直江は這い上がり、ついに新タイトルの蒼天位決定五番勝負に進出し、最終第五局で対戦相手の剛力に勝利し初代蒼天位に就いた。
ここまでが前作である。直江を研究パートナーに誘い、彼の飛躍に手を貸した北神仁が名人、竜王、棋王、王座の四冠を保持。剛力は棋聖と王位、直江の師匠・師村柊一郎が王将、そして蒼天を獲得した直江。この四人が将棋界の八大タイトルを分けあっているのが現在の状況だ。直江は棋士の序列でもトップクラスに躍り出たのである。さらに順位戦も二期連続昇級するなど好調を維持し、王座戦の挑戦者にも躍り出る。相手は通算タイトル獲得数六十五期を誇る絶対王者の北神仁である。
だが二連勝で角番に追い込んだものの、三連敗でタイトル奪取に失敗。それをきっかけに他の棋戦でも連敗が続き、直江はすっかり自分のフォームを崩してしまう。自信を失い弱気になり、退嬰的な考えも浮かび上がる。クラスも上がりタイトルも取った。よほどの贅沢をしたり、身を持ち崩さなければ食えていけるし、競技者としてそこそこの地位は保てる。たとえ棋力が衰えてもタイトル戦の立会人など名誉職的な仕事も回ってくる。北神仁に勝つという「無理ゲーに生活のすべてを懸けなくてもよいのではないか」と。
底辺棋士というコンプレックスは克服したが、また新たなコンプレックスが彼の心を占めるようになるのだ。
しかし直江は師匠師村との練習将棋や、将棋AIに詳しい弟子の高遠拓未との交流をきっかけに、再び将棋棋士の階梯を登っていく覚悟を決めるのだ。女流棋界を制覇しながら奨励会三段リーグに編入し、女性初の棋士を目指す江籠紗香も直江と関わる者の一人だ。弱気な言葉を吐く直江に対し「あんた自身はヘタレかもしれんけど、あんたの将棋がヘタレと違うことぐらい将棋教室に通っとるそこらへんのガキでも知っとるで。ウチは将棋を見る目だけは確かなんや」という𠮟咤が痛快。
本書は直江だけでなく、より高い階梯を登ろうともがく者たちの物語である。初の女性棋士を目指す江籠紗香。タイトル数で北神に並ぼうとする剛力英明。そして物語後半の中心になるのが、悲願の名人位に挑もうとする直江の師匠・師村柊一郎である。
もともと師村は直江の兄弟子であった。直江が奨励会のころ、二人の師匠である三木邦光が死去する。その遺言により新たに直江の師匠になったのだ。師村と直江は年齢も一回りほどしか離れておらず、ともに上を目指す立場にいる。それゆえか二人の間柄はどこかぎこちない。だが王将防衛と名人挑戦をつかみたい師村と、スランプ脱出をはかりたい直江が、一対一の練習将棋を続けるうちに二人の距離は縮まっていく。師村は師匠三木の反対を押し切り、これまでずっと振飛車一筋でやってきた。現代では振飛車は将棋AIに否定されがちな戦法でもある。だが師村にとって振飛車は、単なる将棋のフォームではなく、師村柊一郎という棋士の生き方そのものであるのだ。それなのに師村は直江との練習将棋を通して、新たな世界に挑もうとする。その試みがどのような結果をもたらすのかが、最大の読みどころだ。
盤上の勝利と、盤上の真理探究にすべてを注ぎ込もうとする者たちの姿を、迫力満点の対局シーンとともに描いた将棋小説の最高峰がここにある。このシリーズが作者のライフワークになることを期待したい。
(にしがみ・しんた 文芸評論家)


