対談・鼎談

2025年12月号掲載

くどうれいん『もうしばらくは早歩き』刊行記念

書いているとき、どんな顔?

くどうれいん × 橋本直(銀シャリ)

かねてより、互いのファンだったというお二人。初対面とは思えない、モノカキの本音が飛び交います!

対象書籍名:『もうしばらくは早歩き』
対象著者:くどうれいん
対象書籍ISBN:978-4-10-356531-4

橋本 くどうさんの文章は落ち着くんですよね。ホッとするというか。『もうしばらくは早歩き』は移動がテーマなので、読むために早く新幹線に乗りたくなりました。移動で書くというのは提案があったんですか。

くどう 声をかけてくださった担当の方がすごく旅をする人なので、旅もいいねという話になったのですが、私にはどうしても旅好きと言えない自我があって。

橋本 自分で言えるほどの旅好きは、マジモンすぎるということですね。

くどう 実は一人でご飯を食べに行くことすら苦手で、例えば京都に行けば、駅で友達が待ち構えてくれていて、言われるまま一緒に回ったりとか、そういうタイプなんです。でも、京都に行くまでの新幹線移動のことなら書ける。

橋本 そのやり方、やられたなと思いましたよ。

くどう 食エッセイなら、私は無限に書けるんです。一日三食だから、一日三本書ける。食の数だけ書くネタはあります。でも考えてみると、移動も同じぐらいしている。だから意外と書けるのではと思いました。

橋本 いやでも、一個の食材で、こんなにたくさんの味付けはできないですよ。臨場感もあって、高校時代の話にはエモさを感じましたね。いろいろ考えていらしたんだなって。

くどう 予想していた以上に昔話が多くなりました。出張のこととか、今の移動を書くのかなと思っていたんですけど。『日記の練習』(NHK出版)と執筆時期が被っていて、日記という現在を書いていたからか、昔のことをどんどん思い出せなくなっている感覚があって、だから今のうちに書いておかないと、という気持ちが生まれたのかもしれないです。

橋本 移動で、すぐに人力車や台車が出てくるのもさすがだと思いました。「台車でGO」の話は可愛すぎましたね。

くどう 最初のうちはもっと基本的な移動を書くべきだったのに、早くに台車を書きたくなっちゃって。

橋本 登場する上司の方や事務の女性がみんな魅力的。エレベーターの前で上司がくどうさんに「(台車に)乗っちゃいな」と言うのもいい。「しなしな人力車」での、ピリッとしている人力車やったら乗りたくないという、憧れはあるのにちょっと斜めでいたくて乗れない感じもわかります。ローラースケートは僕もできますし、歩くのが速いところも一緒。新幹線が速すぎるというのも同感です。僕も大阪から上京したので、盛岡在住のくどうさんと同じく、ザ・東京という感じの東京に住んでいなかったからこその実感がある。どのエッセイも読んでいて、とても楽しかったです。

みんなまだ書いていないだけ

くどう 橋本さんのことは、YouTubeで『日記の練習』を手に取っていただいたのを知る前からすごく好きだったんです。電車の中で『細かいところが気になりすぎて』を読んでいたら、危うく吹き出しそうになりました。再読して笑ったら危険なところに付箋を貼りました。

橋本 ありがたいです。

くどう ツッコミって、結構比喩なんだなと思いました。橋本さんは大阪弁で明るいから、自分と全然違うところにいる方という印象を勝手に持っていたのですが、ご著書を読むと、そんなに明るくもなさそうで。

橋本 だから僕、くどうさんと仲良くなれると思いましたもん。

くどう 『日記の練習』を紹介いただいた時に引用なさったのが、私が一番気に入っていた、硬いところで寝たら吉田類の夢を見た、というところで。そこは我ながらよく書けたと思っていたんです。でも誰からも褒められなくて、橋本さんが掬ってくれたので、とてもうれしかったです。

橋本 何もない一日でもそれでもいい、そういうことですもんね。僕は自分の本を書く前に『日記の練習』と出会っているので、ある種、師匠だと思っています。くどうさんの表現は独特なんだけど、取り繕っている感じはない。こういう文章を自分なりに書けるようになりたいです。

くどう 私は独特な表現をしている自覚があまりなく、言っていいことのハードルが、たぶん人より低いんだと思います。ないことをあるように言うのも、自分がそう思ったならやっていいと思っていて。オノマトペでも比喩でも、珍しいことを書いてやるぞという気持ちはないんです。橋本さんも、「もはやアンケートマトリョーシカだ」とか、そんな言葉はないのに、あるように書いてらっしゃる。私が一番好きなのは、ハンガーからVネックの洋服がつるんと落ちてしまうさまを「ライチ剝いてんのか」とツッコんだところです。すごい比喩すぎて私が言ったことにしたいと思いました。そういう比喩が上手い人がエッセイを書いたら、それは面白くなるよな、と。

橋本 うれしいです。芸能界や芸能人のことを書くのは、その人やその人のエピソードの力を借りている感じがして興味なくて。日常のことを書くのが好きなんです。『もうしばらくは早歩き』に戻りますが、「鎌倉は板」の話で、修学旅行生っぽい二人が登場するところも好きなんですよね。

くどう 自分がシンパシーを抱いて声をかけたくなる対象に近寄ってしまいがちです。『細かいところが気になりすぎて』に出てきた「えび天天」という語に出会ったら私も絶対書くし、タイトルにしたい。橋本さんは書籍の刊行は初めてでしたが、以前にも文章を書いてらっしゃったんですか。

橋本 書いてなかったですね。

くどう もっと書いてほしいです、強力なライバルになっちゃうけど(笑)。

橋本直(銀シャリ)

橋本 でもやっぱり、文章は難しいなと思います。僕は基本的には下手なつもりで書いていたんですけど、「こんな風に書けるなんて上手いのかもしれない」と思うときもあるし、「ちょっと待て、誰が読むねん」と思うときもあります。

くどう わかります。私も毎回本を出すたびに、これ誰が読むのと思うけれど、売れ行きいいですと言われたら一瞬だけ「あれ、もしかしたらちょっとだけセンスあるのかも?」という気になるんです。そのあとすぐ落ち込むんですけどね。何冊出しても全然慣れません。出す前は、今、印刷所に飛び込んでコンベアの上で走り回ればなんとか出版が阻止できるのでは、と考えるし、重版して盛り上がっても、だんだん「こんなに重版して、残ったらどうするの」とずーんとなって怯える。その繰り返しです。

橋本 くどうさんでもまだそんなことがあるんですね。

くどう ありますあります。おそらくこれからもずっとそうです。橋本さんはエッセイに関して、なんて言われるのが一番うれしかったですか。

橋本 一冊目なので、「読みましたよ」だけで充分うれしかったです。

くどう 私は、自分のことをひねくれていると思っていた頃に出した本に対して、「私もひねくれているのでわかります」と読者の方からすごく言われたんです。でも、あなたは私とは違うんだから「わかります」ではなく、自分のひねくれは自分で書け、という気持ちになってしまって。

橋本 エッセイってみんな書けるのでは、と思う時ないですか。さっきの「自分は上手いのかもしれない」とは真逆ですが、みんなオンリーワンやから、誰が書くものも面白そうやなと思うんですよ。

くどう 私はみんなまだ書いていないだけだと思っているので、「書いてくださってありがとうございます」とか、特に同世代の読者の方に「めっちゃ自分だと思いました」と言われると、いや、あなたが書きなさいなと思うんです。書いたら絶対に、私とぴったり同じでした、にはならないし、うんと面白いから。移動に関しても、みんな経験があるから、絶対に一本は書けるはずなんですよ。

橋本 必ず一瞬は何かを考えますもんね。

くどう 何に乗って、どこに向かって、何を考えたかだけで、移動のエッセイは書ける。書いてみると、書くことの難しさもしんどさもわかるはずなので、みんな書いてくれたらいいのに、とすごく思います。その上で、書き続けることがどれだけ面白くてしんどいかも知ってほしい。

橋本 僕も漫才をプレイヤーとして、もっとやってほしいなと思ってるんです。草サッカーとか草野球みたいな感じで、学校の授業でも漫才があったらいい。やれば漫才が楽しくも難しくもあると知れるから、そこでプロはすごいなと思ってほしい。

くどう エッセイは小説と比べると、自分をエンタメにする気さえあれば、誰でもエモく書けると思われている節もあるように感じています。でもそう書かないことの難しさも知ってほしい。誰かを亡くしたとか、誰かと喧嘩したとか、強いエピソードで書けるものはあるけれど、橋本さんのようにマスクだけで一本とか、自分のように早歩きだけで一本書く、ということのほうを極めたい気持ちがあります。暮らしている限り、書けることは無限に増えていくし、面白いエッセイが眠っている人生がいっぱいある。いろんな人とすれ違う瞬間、この全員にエッセイがあると思って途方に暮れることもあります。みんなが書く楽しさに気づかないうちに、いっぱい書いておこうとも思っちゃう。

AかBかでFを書く

橋本 書く楽しさにたどり着ける人が、たぶん作家さんなんでしょう。でも、もしかしたらみんな、そんなに「思っている」ということを思っていないのかもしれないです。

くどうれいん

くどう 私は自我が芽生えた頃から「思っている」ことを思っていましたね。

橋本 それも才能じゃないですか。僕はおかんに「物事を俯瞰で見すぎて常に冷めてるから、あんた可愛くなかったよ」と言われたことがあります。自分が自分を認めないときとか、その自分のチェックが一番厳しいんですよね。

くどう 自分の後ろにうるさい自分がいて、さらにその後ろに、そいつをうるさい、と言う自分もいる。私はそんな時期がずいぶん長くて、書くことを覚えてから吐き出せているというか。文章の上では、胸を張れる用の自分が一人に定まって良かったです。そうでないと、後ろがずっとうるさい。

橋本 その定まった一人のくどうさんも、ちょっとだけ斜めやなっていう感じも好きです。だからいまだに、ちょこっと悪口とか言っちゃうんですよ。

くどう ふふふ。でも私は、もっとふざけてファニーに書きたい時もあるんですよ。だから橋本さんのエッセイのテイストを見たとき、悔しくて。ほんとうはリミッターを外して加速してくだけたい。

橋本 僕は逆ですね。もっと抑えたらよかったかなとか。

くどう Xの文字数ぐらいで、短く面白いことを言って、ふっと立ち去りたいという欲もあるんです。橋本さんのようにツッコめると気持ちよさそうですが、これはやっぱり経験値ですね。

橋本 職業ですからね、一応。でも、文章にしたら違うなというツッコミもあります。同じレベルで喋らせてもらうのが申し訳ないんですけど、喫茶店で書いていて、「俺、今日この時間に喫茶店入らん限り、二度とこの文章書くことなかったんや。一時間のずれでも、この文章はない」と思うことがあるんです。逆もしかりで、「今日書いたことで、二度とこの世に出ない文章が存在するんやな」と思うこともある。

くどう 「今日、絶対これを書きたい。今を逃したら、書きたくなくなる気がする」というのは、めちゃくちゃあります。昨日の夜まであんなに書きたかったのに、今日はつまらないから、もうそれは書かないとか。

橋本 本来書きたかったやつじゃないものを書いたりするんですよね。あんなにA書くかB書くかで悩んでたのに、F書いたりとか。

くどう あるー! 『もうしばらくは早歩き』は、その繰り返しが多かった気がします。これとそれ、どっちの乗り物を書こうかなと迷って、結局全く違うローラースケートを書いているみたいな。

橋本 単独ライブが迫ってくると感度が「バリ3さん」になるんです。これは書ける、テーマはこれでいけるとか。でも単独ライブ終わったら感度がバーンと下がって、レーダーに何も反応しなくなる。常にバリ3で居続けるべきやのに。

くどう でもいつもバリ3でいたら、私は書くことに焦がれないと思います。ずっとだったら焼き切れちゃうかも。

橋本 しんどすぎますかね。ところで、書き出しはどうしてますか。一発目の文章がいつもわからなくて。

くどう いや、とてもうまいじゃないですか。「汁が大好きだ。」とか、すごく気持ちがいい。私は最初と最後の文章をなんとなく決めてから書きます。

橋本 最後も決まってるんですか。

くどう 最後が「なんちゃって」となるのか、ちょっと怖くなるのか、「あれ?」となるのか。だいたい決めてから、明るい感じの始まりにしようかな、などと考えます。オチの書きたさで何を書くかを決めることもあります。

橋本 そのパターンもあるんですね。

くどう 最後の一言を決めすぎない、とも決めています。最初のうちは決めるのも好きだったんですけど、余韻があったほうがかっこいいのかも、と思うようになって。もう一個言えるけれど、言わないでおく、みたいな感じです。

私たちには裏の裏、の顔がある

橋本 くどうさんのエッセイは、苦悩も葛藤もそのまま真っ黒に吐き出すのではなく、うっすらにじんでいる感じに、皆さん共感できるんだと思います。キラキラしすぎてもいないし。

くどう もっとしんどいことも、ものすごくいいことも、書こうと思えば書けるのですが、書いたら負けと思っているところも少しあります。書かないことを選んで、書くことを編集しているというか。それでも、エッセイ=赤裸々だと思われてしまうときがあります。

橋本 僕はその編集具合が絶妙だと思います。パーソナルなところをすごく見たいわけではなく、くどうさんの観点を楽しめるんです。

くどう 読んでくださった方から私の人間性を自認よりかなりチャーミングに捉えられることもあって、「れいんちゃん!」と話し掛けられて誰だっけと内心パニックになっていたら初対面で、ぎょっとすることもあります。でもエッセイの中の自分や作者としての自分は書く用の私と割り切って、作品として楽しめる温度を保ちたい。考えていることはいっぱいあっても、書いて笑われてもいいものだけ頭の袋から出す感じです。

橋本 怒りの感情とかも書けるけれど、面白くなかったりするんですよね。書いた怒りについて何か言われたらまた怒っちゃう、みたいな。

くどう とやかく言われた時に笑って返せることや、感情にケリがついていることでないと、書いちゃダメなんですよね。自分の中の、ほんとうに汚かったり、熱い部屋は見せない。

橋本 めっちゃわかります。僕は芸人としての最後のファンタジーはやっぱり守りたくて、単純にアホな人と思われて、周りがハッピーになってくれるほうがいい。お笑いに対する情熱みたいなものはもちろんあるけれど、それは絶対に出してなるものか、と思ってしまう。だからたまに出せる場があると助かる。

くどう 私たちにはちゃんと裏2ツーの顔がありますよね。

橋本 もう一面ね。

くどう オフィシャルと、オフィシャルの裏と、裏2。私はオフィシャルとオフィシャルの裏の顔でエッセイを書いて、裏2の顔は自分だけのために守っておけたらいいなと思っています。晒しすぎないように。かといってオフィシャルが噓であったり自己演出でも全くなくて。その都度に本当の自分がある感覚ですね。

橋本 でも裏2の顔のお出汁は、エッセイの端々に出ているはずです。お出汁ぐらいがちょうどよくて、意図して裏2の味付けをする必要はないんです。

くどう ああ、うれしい。だからその裏2のお出汁を感じ取ってくださる方がいると、ありがたい気持ちになります。

橋本 裏2の顔があったほうが、より良いオフィシャルの裏の顔が出せる。裏2まで全部言っちゃうと、晒すこと自体がコンテンツになってしまい、結果、早く消費されてしまう気がします。

くどう それはほんとうにそうですね。いい人だと思われすぎても怖いし、かと言ってきっと裏があるんだと思われてもそんなことないし。だから苦いところも小出しにして、なるべくチャーミングに書きたいです。

(はしもと・なお お笑い芸人)
(くどう・れいん 作家)

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