書評
2025年12月号掲載
その針を狂わすのは中野
羽田圭介『その針がさすのは』
対象書籍名:『その針がさすのは』
対象著者:羽田圭介
対象書籍ISBN:978-4-10-336113-8
『その針がさすのは』への書評の依頼が私にきた理由は、私が中野に住んでいるからだった。「そんな理由で?」と思われるかもしれないが、「岩崎様は中野とも縁深いことと存じますので」という文が依頼書の中にあったので間違いない。でも、そんな理由だからこそ引き受けもしたのだ。本来なら羽田先生の作品に書評を書く資格が自分にあるのか、と怖気づいてしまいそうなところを、「中野に縁深い」というエクスキューズのみで、それなら資格があると依頼を受けた結果、震える手でパソコンと向かいあっている。
もともと西東京市に実家がある自分としては、中野は立派な都会で縁遠かったわけだが、早稲田大学に通うようになってからは、月に数回は東西線で早稲田から中野に出て、中野ブロードウェイを散策して、そのあと商店街を通り、途中の古本屋に寄ったりしながら西武新宿線の新井薬師前駅まで歩き、そこから電車で東伏見まで帰っていた。
古いオモチャや漫画が好きな私にとって、中野を散策するのは至福の時間だった。大学を出てからは、ずっと中野に住んでいて、妻との、はじめてのデートも中野ブロードウェイだった。今から20年近く前の話で、10分間100円で結構新しい型のマッサージチェアを堪能できるコーナーがあった。6台ほどのマッサージ機があって、それを付き合う前の妻と一緒に並んで体験した。振動でブルブルと震える僕を見て、爆笑する彼女は天使のようだった。
そんな天使も今ではママチャリで中野を飛び回り、ナカペイ(中野区デジタル地域通貨)を駆使して食料品を調達し子供3人を育ててくれている。中野への縁深さは信じていただけただろうか。
「その針がさすのは」を読んで、これは「中野に縁深い」ことが大事な作品だと感じた。リアルな中野の姿がそこにはあり「羽田先生は中野に住んでいるに違いない」と思った。そうじゃないと書けないような中野の空気感、というよりも、もっと生活に根ざした、中野で生きる上での動線を把握されていると感じた。中野民の僕としては出てくる場所がいちいち馴染みのある場所で、「着膨れ」と呼ばれる鮮魚店には、我が家も大変お世話になっており、実は「着膨れ」ができた当初、私はキングオブコントに優勝したばかりで、若い店員さんの一人からサインを求められ書いたことがある。それがお店の壁に飾られたのは素直に嬉しかったのだが、時が流れ、そのサインを求めて来た若者も恐らくお店を辞めて、私のサイン色紙だけが、壁でひっそりと時を刻み込むように変色していった。「着膨れ」で買い物をしても、あのサインの正体が自分だとは気づかれていない状況が長く続き、買い物の度にむず痒い思いをしたが、そのサインも店舗拡大のタイミングだっただろうか、無事に姿を消した。本作を読み終えた今、自分のサインがある期間でも魔窟の一部となっていたのは誇らしくも感じる。
そんな生活圏としての中野との付き合いしかない自分でも、やはり中野のマジカルな魅力をずっと感じている。この小説の舞台が、私の地元「保谷」「田無」「東伏見」だったら、さすがに成り立たなかったはずだ。主人公が覗いた深淵に足りる懐の深さは、中野だからこそだ。そしてそれを凝縮したような魔窟・中野ブロードウェイ。大学生の私は魔窟の持つ妖しくノスタルジックな空気に主人公同様、居心地の良さを感じていた。売れない芸人として、よくなかの芸能小劇場に出演していた頃、魔窟の3階にあった薄暗いゲームセンターが店の前に明らかにチャップリンを模したキャラクターの看板を出していた。随分年季の入ったあれはいつから採用されていたものだったのだろうか。当時、元世界の喜劇王の健気な姿に心を動かされていた人間は絶賛売れない芸人の自分ぐらいしかいなかったのではないだろうか。写真に収めておけばよかった。そう、かつて3階にあったユニークなお店たちは全て魔窟の体内に飲み込まれてしまった。そうなると今ある数々の時計店の中で動いている無数の時計が刻んでいる時は、魔窟の最期なのかもしれない。と、なんとなくうまい表現をしようとしても、魔境中野のその辺の蠢きは、羽田先生が本作で余すところなく描いているのでそちらにお任せしたい。しかし、先生の文章はなんと簡潔で無駄がないのだろう。それはまるで、時計のムーブメントのようで、この不思議な話に私はまんまと引き込まれて、読み進んだ分だけしっかりと世界に入り込み、ぬかるみにはまっていく感覚を楽しんだ。機械式時計は不思議だ。無駄なく、合理的に組み上げられている、道理の塊のはずなのに、その動きを見る私にはそれがまるで魔法のようにしか感じられない。中野の街だってそうだ。そして、本作『その針がさすのは』にしたって。私はそれらの魔法にやられてしまっているようだ。
(いわさき・うだい お笑い芸人)



