書評
2025年12月号掲載
私の好きな新潮文庫
読書の始りと止まらないワンダーランド
対象書籍名:『ソロモンの偽証』(第I部~第III部)/『ベージュ』/『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(上・下)
対象著者:宮部みゆき/谷川俊太郎/村上春樹
対象書籍ISBN:978-4-10-136935-8/978-4-10-136936-5/978-4-10-136937-2/978-4-10-136938-9/978-4-10-136939-6/978-4-10-136940-2/978-4-10-126627-5/978-4-10-100157-9/978-4-10-100158-6
本、好き? とよく聞かれる。本、好きですよ。ただ、本を沢山読むか? と聞かれると、いいえ。得意ではない。読んだ総数や、最近のお勧めなど答えられない時が大半だ。本は私の中で、映画やドラマより寡黙に対峙するものだと感じている。音や色を感知する神経を研ぎ澄ませて、匂いに繫げる。活字を追いかけるだけの素朴な時間には到底出来ず、私の時間の流れ方すらあっという間に物語に支配される感覚、逆らえやしない。だから、途中でしおりを挟むことも出来ない。本と対峙するには、相応の時間と体力が必要なのだ。
*
人生の中で、初めて読んだ長編は、宮部みゆき『ソロモンの偽証』。当時中学3年生、映画「ソロモンの偽証」に出演することが決まった時だった。オーディションを受け始めた当初は、まだ受けている作品が宮部みゆき『ソロモンの偽証』の実写映画化だとは知らされていなかった。知っていたのは、プロアマ問わず審査する大きなオーディションで、中学生たちが主人公であること。そして私はその中で、屈託のない純粋無垢な少女、浅井松子の候補だったということ。私は出演が決まった後に原作に手を伸ばしたが、それまで蓄積されていた松子ちゃんへの印象は変わらなかった。両親の愛情たっぷりで育った子。何より人想いで優しい子。今、当時の読書体験を振り返ってみて、物語を生きてみて、自分の人生25年余りを生きてみて思うことは、傷みを知った人間にしか生まれない優しさが存在するということ。中学生が校内裁判をする、それは傷みを知ることだったように感じる。

*
人生の中でこれほど残る言葉があるだろうか。決して私個人に与えられた言葉ではないのに。谷川俊太郎『ベージュ』。谷川俊太郎との出会いは、小学校に入学したタイミングだった。母校の校歌を作詞したのが谷川俊太郎。“なかよくするってふしぎだね けんかするのもいいみたい”この歌詞の模範生徒の様な小学生時代を過ごした。それはそれは喧嘩の多い子供だったけれど、仲直りの握手ほど互いを好きになれる行為はないと思っている。座右の銘を聞かれてもすぐに答えられないのだが、もしかしたらこれなのかもしれない。そんな谷川俊太郎の詩の中で思い出深いのが、言わずと知れた名詩「生きる」。小学校の卒業式で朗読した詩。私は詩名“生きる”を言う担当だった。東日本大震災の後、当たり前の日常は僅かな出来事でしかないのだと思えた詩。いま、愛おしい人が寝息を立てている。肌寒い曇り空、僅かな日常、些細な幸せ。そのそばで『ベージュ』を開く。“ただの生きものとしての私”に生かされているのが人間。そうだとしても、私はチャイが飲みたくなった。そばにいるあなたが起きないように、ミルクを買いに行く。米寿になっても──そう願う私は人間だ。ベージュ色のチャイでぬくもる人間だ。

*
さて、これから楽しみにしていること。それは、原作 ・村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』舞台化への出演だ。出演が発表されると、仲良しな人たちから一斉に“一番好きな小説”と連絡が入る。私は今回初めて村上春樹作品に手をつけた。冒頭でも話したように、本を読むことが得意ではない私は、こういう機会がないと出会わなかった気もするし、必然のような気もしている。読み始めると、なんてファンタジーな世界に入り込んだのだろうと思ったのだが、没入は早かった。自分を置いて物語が進んでいく。潜在的に私の中に在るもの、あなたの中に在るもの、それらがちりばめられているように感じた。だから私を置く、私で進んでいく。仕方がないことだが、今回演じるピンクが出てくる場面では途端にじっくり読まざるを得ない。彼女が何を考え、感じているのか、捉えたい一心で。けれど、捉えきれないところこそ“魅力”なのだろう。読了して真っ先に感じたことだ。私は愛の物語だと思った。けれど、愛の概念に答えはあるのだろうか。間も無く始まる冒険がやっぱり楽しみで、楽しみだ。

舞台「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は2026年1月10日より、東京、宮城、愛知、兵庫、福岡にて上演。
(とみた・みう 俳優)






