書評
2025年12月号掲載
自分がどうしたいかがわからない
桜林直子『あなたはなぜ雑談が苦手なのか』(新潮新書)
対象書籍名:『あなたはなぜ雑談が苦手なのか』(新潮新書)
対象著者:桜林直子
対象書籍ISBN:978-4-10-611107-5
自分の話を思い切りできる場所があるといいと思い、5年前にマンツーマンで90分間たっぷり人の話を聞く仕事を始めた。そこで3000回以上様々な人と雑談を繰り返していると、どんな人でも自分のことはよくわからないのだなと思う。人に話してみて、はじめてそのわからなさに気がつくこともよくある。とはいえ、どんなに自分で自分を見つめても自分のことを完全にわかることはないし、わからないままでいいと思う。ただ、自分のすべてをわからなくてもいいが、自分がどうしたいのかを知らないと、結構厄介なことになる。それもまた、雑談を繰り返してわかったことのひとつだ。
「今のままじゃダメだとわかっているけれど、どうしたらいいかわからない。それどころか、自分がどうしたいのかもわからない」という人が何人もわたしのところにやってくる。かく言うわたしも、30歳を過ぎるまで自分がどうしたいかわからなかったひとりである。
「どうしたいか」よりも「どうすべきか」を優先するクセがあり、自分の内側からの欲求に応えるよりも外側の出来事や人に対処するやり方が当たり前になっていた。それを続けていると、自分の欲は出てこなくなり、その結果自分がどうしたいのかわからなくなってしまっていたのだ。「外側への対処が先で自分の気持ちは後」と後回しにしていると、結局自分の行きたいところには辿り着かない。厄介なのはこれだ。その都度よい方を選択してきたはずなのに、どうしていつも望んでいない場所にいるのだろう、と気がついたときは途方に暮れた。
自分が本当はどうしたいのか、ひとりで考えていたら突然ポンと出てくるということはほとんどない。欲が出てこないように抑えているものは何なのか。自分の欲求よりも大事にしているものは何なのか。手探りで少しずつ砂を払うような作業が必要だ。その作業は人と雑談することでできると考えている。
雑談は、目的を目指して一直線に摑みに行くのではなく、いろんな話を行ったり来たりうろうろしながら砂の中から砂金を見つけるような時間だ。ふたりの間のテーブルに出すように話してくれたものを一緒に眺めて、「こんなのが出たね」「あれとこれは似ているね」などと観察しながら探していく。「どうしたいか」を見つける手前で、「自分の欲求を許可する」段階が必要だったりもする。そうやってゆっくり時間をかけて雑談しながら、自分を少しずつ知ることができる。
雑談が苦手、自分の話をするのが苦手だという人は、小手先の技術でどうにかするのではなく、まずは自分のことをよく知る必要があるかもしれない。雑談することについて、そんなふうにどこまでも「そもそも」を追いかけながら書いたものが本書である。
(さくらばやし・なおこ 雑談の人/コラムニスト)




