書評
2026年1月号掲載
愛すべき偏屈小説家・広岡達三の近況報告
いしいひさいち『剽窃新潮』
対象書籍名:『剽窃新潮』
対象著者:いしいひさいち
対象書籍ISBN:978-4-10-356591-8
広岡達三という小説家をご存じだろうか。
純文学一筋五十有余年のベテランにして文壇の御意見番を自任する。代表作『孫呉』『白河』『粛という男』ほか。『連五城』は優れた造本に贈られる「製本屋大賞」を受賞した。かつて師事した川上哲学とは些細なことから袂を分かち犬猿の仲で、同年輩の吉田吉男にもライバル心を燃やす。クールな毒舌家を装っているが、実は短気で大人げない吝嗇家。苦虫を嚙みつぶしたような風貌は、プロ野球のヤクルト、西武で監督を務めた広岡達朗を彷彿させる。
……と、ここまで読めばすでにお気づきのとおり、「広岡達三」は実在ではなく架空のキャラクターだ。
生みの親は、漫画家のいしいひさいち。大ヒット作『がんばれ!!タブチくん!!』に登場したヒロオカ監督を原形として、朝日新聞連載の『ののちゃん』では広岡医院の院長に役柄を変え、文壇パロディ『わたしはネコである』で初めて小説家・広岡達三として主役を張った。
モデルとなった広岡達朗から一文字変えて「達三」としたのは石川達三を意識したのかどうか。初登場時には、亡き妻の思い出の残る家から鎌倉あたりの借家に引っ越すトラックの中で「へー お客さん小説家ですか」と感心する業者のドライバーに「知らんだろう 広岡達三だ」と名乗って「あ! 野球の監督の」と言われ、「あんな変人と一緒にするなバカモノ」と一喝するくだりがある。
借家になぜか最初から居着いていたお手伝いさんに「あけてはならんぞ」と厳命していた書庫には、自分で買った自著がズラリ。それを見てしまったお手伝いさんに「コヅカイやるから黙っとれ」と口止めする。
そんな偏屈かつ俗物なキャラが作者的にもツボに入ったのだろう、その後も彼を主役としたシリーズがいくつか描かれた。その最新版が『剽窃新潮』というわけだ。
初出は「小説新潮」。そこで、言うに事欠いて『剽窃新潮』などという不謹慎なタイトルで連載する(できる)ことからして、さすがというか何というか。
今作でも広岡達三の偏屈&俗物ぶりは遺憾なく発揮されている。読み切り原稿を「すばらしいです! つづきが読みたくなります」とほめる編集者に「あたりまえだ! 50枚のところ30枚しか書けなかった。それは皮肉かッ」と嚙みつく。電卓で何やら熱心に計算しているのを「ずいぶん精が出ますねセンセ。年収の計算ですか」とお手伝いさんに問われて「ああ」と答えたかと思ったら、「ちきしょーッ あいつらこんなにもらってやがるのか!!」とブチ切れる。実はライバル作家の収入を計算していたのだ。
担当編集者の安田(同じく『がんばれ!!タブチくん!!』からの古参キャラ)との丁々発止のやりとりもますます磨きがかかっている。サイン会にまるで人が来ず、苦肉の策で「この際サインする、ではなくサインするところを見せる、にしましょう」との安田の提案に従い、しばらく黙ってサインしてみたものの、遠巻きに好奇の目で見られるだけ。たまらず「わしは鼻で絵を描く象か!」とノリツッコミ(?)をかます広岡先生には同情を禁じ得ない。
ほかに、中堅推理小説家のタブチコースケ(言うまでもなくタブチくんが原形)、文芸誌の編集長(モデルは元東京創元社の戸川安宣氏)、編集部員の山田(成長したののちゃん)などが登場。そして、人物紹介コーナーで誰より大きなスペースを占有して「主人公を差し置く態度の大きさで知られる」と記されるのが藤原ひとみである。
『ののちゃん』に登場する藤原先生が、教師を辞めて専業作家となった。自由奔放にして豪放磊落な性格は相変わらずで、本作でもいろんな意味で大物扱いされている。
ビンボー学生生活を描いたデビュー作『バイトくん』に始まり、スポーツ、時代劇、SF、ミステリ、政治経済、戦争、現代思想まで、いしいひさいちはあらゆるものを笑いに変えてきた。今でこそ文豪をキャラ化したマンガも少なくないが、それもいしいが切り拓いたジャンルと言っていい。広岡をはじめとした“いしいワールド”の住人たちを手塚治虫のスターシステムのように配した本作は、作者にとって、もはや自家薬籠中のものに違いない。
しかし、それだけで終わらないのがいしいひさいちの真骨頂だ。今回は、広岡、藤原、タブチの小説をマンガ化した──という体の描き下ろしが3編収録されている。
広岡達三原作「いぼ」は、定年退職した男の人生をいぼに仮託した哀愁漂う掌編。最近の「ROCA」シリーズで見せた叙情性にも通じる表現に、しみじみ感じ入る。
タブチコースケ原作「ポンスン殺人事件」も気の利いたパロディだが、圧巻は藤原ひとみ原作「芸州兵乱記」より抜粋の「熊谷元直の妻」だ。戦国史に伝わる逸話を絶妙にアレンジした凄みと艶気の香るドラマで、絵もド迫力。本編には藤原先生が現地取材している場面があり、あれがここにつながるのかとひざを打つ構成も凝っている。
もちろん読者へのサービス精神もあるだろう。が、それにも増して描かずにおれない創作者としての業は、広岡達三と藤原ひとみを合わせたぐらいにすさまじい。
(みなみ・のぶなが マンガ解説者)

