書評
2026年1月号掲載
不完全な人々の静かな共助
ヴェロニク・オヴァルデ『わたしたちの不完全な人生へ』(新潮クレスト・ブックス)
対象書籍名:『わたしたちの不完全な人生へ』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:ヴェロニク・オヴァルデ/村松 潔 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590204-9
本書には八編の短編が収録されていて、それぞれの話の登場人物が別の話にも出てくる構成になっている。たとえば最初の話である「オーギュスト・バラカの狼狽」に登場する不動産屋のエヴァは、二番目の短編である「“あなたは華々しい成功を収めるでしょう”」の主人公だ。そのエヴァの娘のマルグリット(ボブでもあり、ローズでもある)は、その次の「自分にたどり着くまでの道」のメインの登場人物である。別の短編で言及される人物が、また他の話にも登場することもよくあって、独立した話としてもどれもおもしろいけれども、順番に全体を読むと登場人物が生きている場所の感触がわかってよりおもしろいし、登場人物たちに親しみが持てるようになる。
本書は、今のフランスに暮らしている普通の人々のつながりの中のある一箇所をすくい取ったような作品だ。普通の人々と言ってもフランス人だ。どうしたって自分たちと似ているなどというわけにはいかない……と警戒しながら読み進めていたのだが、エヴァがサロン・ド・テで古代ギリシャ語を勉強し直したい、と切望する場面で、なんだか吹っ切れたような気がする。なんかほんのちょっと、自分の心の栄養になることを、雰囲気のいい喫茶店で勉強したいという願いは、日本人もフランス人も共通の感情なのだ、と思うと、なんだか人間全体がいじらしく見えてくるような気がする。
エヴァの章まで進まなくても最初の「オーギュスト・バラカの狼狽」の主人公オーギュスト・Pが見舞われる小さな不幸の連続の様子には親近感が持てる。
彼が自分を不運な男だと見なす傾向について、「いちばん感じのいい友だちになるのは無理だとしても(中略)たまにいっしょに食事する相手としては悪くないと思われることはある」と見なす冒頭で、わかるなあという気がしてくるだろう。オーギュスト・Pは実際不運でちょっと変わっている。本人は使わないと吹聴していたのに、こっそりエレベーターを使っていたことが遠因で、マッチョな船長の父親が亡くなった、祖父が魚取りの最中に自作の水中銃に雷が落ちて亡くなった、といった親族の男性たちの死の経緯はかなり特殊で、オーギュスト・Pを不安にさせておくには十分なものだけれども、彼自身には、女の子とクラブで知り合っても手首に書いてもらった電話番号が消えたり、録音技師の国家試験では同姓同名の他人が合格したり、抗不安薬でリストにはない副作用が出たりといった、普通の若者の身の丈の不幸が多い(墓石に寄りかかったことが原因で足の指を切断するといった出来事はかなり不幸だけれども)。
この信頼の置ける「身の丈」感は、小説を終始貫いている。エヴァもまた、離婚歴があり、娘のボブがやっとアルテルナンス(注)の口を見つけたかと思うと、職場で喧嘩をしてやめてしまう。そしてボブには、「権力をもっているのは男の子なのだから、男の子みたいになること」という不自由な達観がある。このボブ/ローズ/マルグリットが、話が進んでいくにつれ、少しずつ成長して変わっていく様子は、本書を読む主な楽しみの一つでもあるように思う。
四作目の「未来から来た男と棘のある女」という話で、登場人物の様相は少し変化する。「うわの空でダンスしているような」夫婦生活の後、夫を失ったラシェルという女性の所に、強盗が押し入ってくるというあらすじなのだが、何らかの失調を感じさせるラシェルを、偶然そこにやって来たボブがどう救い出すのかという結末は、人が人と関わることの化学反応のようなものを感じさせてくれる。
七作目「水位の上昇」のゼリーは、エヴァがボブのアルテルナンスのお祝いにアクセサリーを買った骨董屋の主人ドラの孫に当たる人物で、煙草ばかり吸っている不安定な母親に気を揉んでいる。ゼリーには、年の離れたまだ赤ちゃんの弟がいて、母親と弟を見張るために浅い眠りを余儀なくされている。母親は、ゼリーにとって気が進まない同級生の誕生日会にゼリーと弟を連れて行き、なぜか弟も置いていく。赤ちゃんの弟は、意外にも会の人気者になる。ゼリーにとって陰鬱な誕生日会の記述の中で、赤ちゃんが踊り出す様子には、どうにも言葉にはならない救いのようなものがある。結果的に、この一日はゼリーと赤ちゃんの運命を大きく変えるものになる。そのなりゆきのままならなさ、突然さには、人間の思いと巡り合わせの不思議がある。
本書の短編連作の中で描かれる、決して派手ではない人間関係のゆるやかな起伏は、最終的には地に足の着いた地味な救済のようなものにつながっている。ままならないことは多い、でも諦めなくていい、何かは待っている、と信じさせてくれる作品だと思う。
(注)専門学校などでの学術的教育と企業内での実習を同時に進めるデュアルシステム
(つむら・きくこ 作家)

