書評
2026年1月号掲載
唐を駆ける杜甫と酒豪たち
千葉ともこ『飲中八仙歌 杜甫と李白』
対象書籍名:『飲中八仙歌─杜甫と李白─』
対象著者:千葉ともこ
対象書籍ISBN:978-4-10-356571-0
本作の主人公であり、「国破れて山河在り」で有名な杜甫は唐代の詩人である。小説のタイトルに見える「飲中八仙歌」は、「李白一斗詩百篇」──李白は一斗飲めば百篇の詩をつくる──に代表される八人の酒飲みの豪快さを詠った杜甫の代表作のひとつとして知られる。詩に登場する八人の酒飲みはいずれも杜甫と同時代の人物だが、李白・汝陽王以外は杜甫との直接的な接点が不明であり、これは杜甫が李白などから聞いた話を詩に仕立てた作品で、多くは杜甫の実体験とおおよそ乖離している……と、思っていた私に新しい世界を見せてくれたのがこの小説である。
物語の中で杜甫は「飲中八仙歌」に詠われた酒飲みたちと出会い、ともに酒を飲み交流を重ねていく。一章から八章にはひとりずつメインの酒飲みがいて、最後に杜甫の章が加わり全九章の構成となっている。各章の冒頭にはその章の中心人物を詠う「飲中八仙歌」の句が現代語訳とともに示されているため、作品を読み終えるときには「飲中八仙歌」をも読み終えることになるのだが、一章読み進めるごとに章の最初に戻って杜甫がその人物をどう詠っていたのかを見返すのがお勧めである。なぜなら、この小説を読む営みは杜甫が「飲中八仙歌」を作り上げる旅に同行することに他ならないからである。夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(KADOKAWA)では白居易が「長恨歌」を作り上げる物語が空海の冒険に伴走しているが、本作は八人の酒飲みと出会い、杜甫が自身を確立していく中で、「飲中八仙歌」を作り上げる物語となっている。彼らとの出会いが杜甫を変え、杜甫は彼らとの思い出に向き合って、ひとりずつを詩に描いていく。
出会った酒飲みたちの人物造形はそれぞれに工夫がこらされているが、その白眉は焦遂である。史実の焦遂の生涯についてはほとんど記録がなく、恐らくは市井に生きた人物であろうとされている。人物像のヒントは「飲中八仙歌」の「焦遂は五斗飲んで、はじめてしゃんとなる/そして達者な雄弁で、まわりの人々を驚かせる」という句の他ない。作者はこの句から、吃音に苦しみ、饒舌には語らない焦遂が、酒の力を借りて語り出す頼もしい場面を描き出した。焦遂が吃音であったとする杜甫詩の解釈は宋代からあり、これは作者の独創ではない。だが本作において、この吃音はただ詩に符合させるための設定ではなく、人物造形を貫く根幹となっている。焦遂は常に吃音により不条理な目に遭い続けてきたが、杜甫によって自らの在り方を受け入れていく。その過程が波乱万丈の物語を貫く経糸のひとつとして丁寧に描かれている。焦遂の章を読み終えて、章冒頭の詩を見返したとき、杜甫の目を通して見た焦遂の姿が立ち現われてくる。ああ、焦遂の自己評価に関係なく、杜甫にとって焦遂は頼もしい友であったのだ。そんな行きつ戻りつして読み進める楽しさが本作にはある。
なお、焦遂の上司は阿倍仲麻呂である。このような過去や関係性の大小さまざまな仕掛けが施され、その場限りの設定のように見えた小さな仕掛けも伏線となり物語中盤から終盤にかけて次々と鮮やかに回収されていく。唐代の歴史や文学に全く知識がない人でもその仕掛けと伏線とを十分に楽しめる作品であるが、いくらか親しんでいる人は「春望」誕生の場面など予期せぬ仕掛けに何度も「そう来たか」と唸らされるだろう。私が最も意表を突かれたのは李白だった。作中の杜甫は李白と旅をしているが、これは史実に基づく。そして作中にある通り、杜甫が李白を思って作った詩はたくさん残されているものの、李白が杜甫を思って作った詩はひとつしか見いだせない。これについては、高名な詩人であり玄宗にも仕えた輝かしい経歴を持つ李白を杜甫は慕っていたが、十歳年下のまだ何も成し遂げていない杜甫は李白にとっては数いるフォロワーのひとりに過ぎなかったからだ、などと説明されることが多い。しかし、本作では巧みな仕掛けで全く異なる解釈を示してくれる。なるほどと思わず膝を打つ解釈である。
焦遂のような伝記未詳の人物、李白のように伝記は明らかだが極めて自由な人物もいる一方で、八人の酔っ払いの中には皇族一名に加え、政界の重要人物が複数含まれており、物語は唐朝の政治の世界から逃れることができない。彼らと酒を飲む内に杜甫は政治の駆け引きと混乱のさなかに否応もなく巻き込まれていく。もちろんこれは小説であるから、杜甫の史実の記録ではありえない。杜甫が八仙全員と酒を飲んでいた可能性は低く、少なくともそれを史実と証明することは限りなく不可能に近い。しかしもしこれが史実であったなら「飲中八仙歌」は杜甫のかけがえない思い出の歌となる。優れた歴史小説はありえたかもしれない可能性を、時として鮮やかに描き出してくれるのである。
(たかしば・あさこ 横浜国立大学教授)


