書評
2026年1月号掲載
歴史的人物の矛盾をそのままに見る眼差し
渡辺京二『私の幕末維新史』(新潮選書)
対象書籍名:『私の幕末維新史』(新潮選書)
対象著者:渡辺京二
対象書籍ISBN:978-4-10-603939-3
私は2024年の4月から一年間、BS-TBSの「関口宏の一番新しい江戸時代」に出演していた。その中で最も厄介だったのが、幕末維新だった。具体的な経緯を知れば知るほど、人間が見えてくれば来るほど、その矛盾した思想と行動に、理解を阻まれる。「なぜこんな行動をとるのか?」と、理解できないことが山のようにある。理由なき暴力も多々あり非難したくなることが度々なのだが、それでは説明にならない。かなり参った。
その経験を経て本書を読んだ時、「幕末維新に向き合う姿勢がここにあった」と膝を打った。本書は一行一行が、紛れもなく「面白い」。今まで面白いと思えなかった幕末維新が、面白くなった。なぜなのだろう。
読み進めるうちにわかってきたのは「矛盾のただ中に入り込んで彼らの行動を見る」という姿勢だった。理屈や筋道で分かろうとはしない。著者は語る。「ここは良いから九十点、ここは悪いから三十点と、現代の物差しであれこれ成績をつけても意味がありません。……思想の持つ方法論や歴史的背景全体を理解しなければならないのです」と。その通りなのである。
その一つの事例が吉田松陰である。松陰の思想を陽明学で理解しようとしても無理だ。尊王でも攘夷でも無理。では何かというと、著者は「松陰は『狂気』を帯びた人物」だと言う。しかしただ異常だというのではなく、「独特の情熱と信念を持って行動するという意味の『狂』なのです」と。そして「吉田松陰の一番評価すべき点」は「政治的なものを追求する中で反政治主義にならざるを得ないという生き方」であり、「尊王攘夷という我々の祖先がやった愚行の中でなにが残っていくかといえば、吉田松陰の馬鹿げていて愚直な『草莽崛起』の志」なのだと語る。
尊王攘夷は愚行であり、草莽崛起は馬鹿げていて愚直なのだ。私はテレビ番組の中でそれを言えなかった。そう語るだけでは単なる非難になってしまうからだ。しかし著者は「反政治主義にならざるを得ないという生き方」と「狂」に共感し、「草莽崛起」の志は残ったと評価した。著者は、現代社会を生きている私たち自身が持っている矛盾や行動の「狂」を充分に知っている。経験している。そのことが、歴史上の人物を頭の中の物差しで測らない根拠になっている。
石牟礼道子『苦海浄土』第二部に、「水俣病を告発する会」が東京に向けて呼びかけた時の文章が載っている。水俣病補償処理委員会に補償を一任したいわゆる「一任派」と、訴訟に踏み切った「訴訟派」に分裂した。補償金額の回答阻止の呼びかけは渡辺京二によってなされたのだった。
渡辺京二は熊本で千枚のビラを撒き、ある朝水俣にやってきて、チッソ水俣工場正門前に端然と座りこんだという。「水俣病を告発する会」がこうして熊本に誕生し全国に広がった。そして訴訟が本格的に検討され、患者たちが高野山巡礼の白装束そのまま、大阪で開催されたチッソ株主総会に乗り込んだ。次の年にはチッソ東京本社の籠城となった。水俣の運動には多くの人が関わったが、渡辺京二は常に急先鋒にいたと言っていいだろう。
この『苦海浄土』第二部を、渡辺京二は「日常と非日常、社会的反響から民俗的底部まですべて包みこんだ巨大な交響楽」と評した。確かに、患者も告発者も市民も支援者も無論チッソも、矛盾だらけで分裂もし、多層多様な存在として立ち現れている。その経験は当然、過去の人々を見るまなざしを変えたに違いなかった。
天狗党の乱の時の残酷さを著者は「中核派対革マル派の『内ゲバ』のようなもので、敵対者に対する憎悪は想像を絶するもの」だったと語った。内ゲバを目の前で見た私は、幕末の理解を絶する行為が自ら目撃した現実に重なった。西郷隆盛も評価しにくい人間だが、著者は「死んだ人々にずーっと取り囲まれながら生きた」人で、中でも赤山靱負の死に直面して「世の中のため、人のため、あるいは民百姓のため戦わなければいけない。そのような覚悟を持った者は真っ先に命を捧げなければいけない」と思ったのではないか、と語る。ここにも、著者の共感がある。
本書はいわゆる歴史書ではない。そこに生きた人間を見つめ、語った言葉である。ここには身体を持った「人」が生きている。その血潮に触れることができる。
本書の一部は、後に『逝きし世の面影』に結実する。本書は渡辺京二の生き方と仕事全体を思い浮かべながら読むことで、一層、心の奥深くに入ってくるのである。
(たなか・ゆうこ 文学者、法政大学名誉教授・元総長)


