書評
2026年2月号掲載
徹底的な「接近」でライプニッツの謎に迫る
ミヒャエル・ケンペ『ライプニッツの輝ける7日間』(新潮クレスト・ブックス)
対象書籍名:『ライプニッツの輝ける7日間』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:ミヒャエル・ケンペ/森内薫 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590205-6
生涯のあいだに1300人もの人と文通を交わしながら、政治と宗教と科学の境界をまたいだ思索を続け、鉱山の改良から選帝侯家の家史編纂まで、常にいくつもの未完のプロジェクトを抱えたまま各地を馬車で忙しく駆けまわり、数学や論理学、哲学などさまざまな学問領域において、決定的に新しい思考の道を切り開いていったライプニッツ。彼が生前にメモとして書き残した膨大な思考の断片は、遺稿としてハノーファーの「ライプニッツ文書室(Leibniz Archiv)」にいまも保管されている。
2014年の秋に私も、雑誌「考える人」の企画で、数学の歴史を辿る「ヨーロッパ数学紀行」の道中にこの文書室を訪れたことがある。初めてライプニッツの肉筆を目にしたとき、その踊るような筆跡に生々しい思考の息吹を感じて、胸が高鳴ったことをよく覚えている。膨大な遺稿を前にして何より感じたことは、その過剰なまでの思考のエネルギーだった。とてもではないが、このすべてを読んで理解することなど誰にもできないに違いないと思った。とどまることなく湧出し続けたライプニッツの思考は実際、いまだ全貌の把握できない魅力的な謎として、圧倒的な存在感を放ち続けている。
全貌が見えない思考に、後世の読者はどう向き合えばいいのだろうか。この難問に対して、本書の著者であるミヒャエル・ケンペは、ユニークなアプローチを考案した。すなわち、ライプニッツの広大な思考の領野を、外から引いて眺めようとするのではなく、逆に本人に徹底的に接近してしまおうというのだ。このために著者は、ライプニッツの膨大な遺稿をひもときながら、彼の生涯全体のたった「7日間」を蘇らせていくことに専念するという方法を編み出した。そうすることで彼の思考が生成する現場が実際、生々しく目の前に立ち上がってくるのだ。
どんな巨人でも、近づいてみれば同じように人間であり、みなそれぞれに弱い。ライプニッツもまた、ときには挫け、自信を失い、些細なことに思い煩ったりしながら生きていた。経済的な心配であったり、健康上の不安であったり、ライプニッツを日々煩わせたのもそんなありふれた悩みだった。
だが弱さは彼の欠点ではなかった。欠乏こそが善を生み出すことを彼は知っていた。実現しないプロジェクトや、失敗に終わる計画も少なくなかった。むしろ本書を読むと、計画通りに進んだ仕事などほとんどなかったことがわかる。それでも彼は、立ち止まらなかった。そこにこそ彼の非凡さがあった。
ライプニッツは何より、研究のための自由を求めた。そのためには権力者からの支援を必要とした。だが自由であるためには、権力に依存しない必要もあった。この矛盾した要求のなかから彼の固有の生き方が生まれた。
ライプニッツは、政治的な力を持つ複数の人に仕える一方で、特定の誰にも従属しない生き方を選んだ。そのため、ヨーロッパの各地に支援者がいるにもかかわらず、どこにも本当の安住の場所はなかった。
とてつもなく多様な関係の可能性に開かれていながら、誰に対しても心をあけ渡すことはしない。開かれていながら閉じている。世界全体と絡み合いながら、孤立している。そんな彼自身のあり方そのものと、彼の形而上学の中核的概念である「モナド」を重ね合わせて読み解く第6章は特に、個人的にも深く頷きながら読んだ。
モナドは難解な概念だ。宇宙の鏡としての単純実体であるモナドは、相互に表現し、反映し合う。にもかかわらず「モナドには、何かが出入りできるような窓がない」。
ライプニッツは「世界をそれぞれ根本から独立したものだと考えると同時に、すべての個は根本から結ばれているととらえて」いた。モナドはまさにこの緊張状態を体現する実体だが、同時に、ライプニッツ自身の似姿でもあった。ライプニッツはとてつもなくたくさんの人と交流したが、誰とも深く付き合いすぎることはなかった。あらゆるものと交流しながら、決して「窓」を開くことがないライプニッツの魂は、まさに彼が描くモナドそのもののようであった。
本書は、ライプニッツの葛藤と決意、自由と孤独のあいだに揺れる魂の動きを間近に感じながら、彼の思考が生成する現場に「参加」する経験を味わえる、貴重な一冊である。
(もりた・まさお 独立研究者)



