書評
2026年2月号掲載
平凡な異常さ
望月諒子『踊る男』
対象書籍名:『踊る男』
対象著者:望月諒子
対象書籍ISBN:978-4-10-352193-8
木部美智子さんは、ビスケットみたいな人だと思った。バターと砂糖たっぷりのクッキーじゃなくて、ビスケット。さくさくしていて甘さ控えめ。素朴というのともすこし違うけど、シンプルであきのこない味わいがある。
本作は望月諒子さんによる木部美智子シリーズの最新作である。シリーズではあるが各作品は独立しているため、順番を気にすることなく読める。かくいう私もはじめて木部美智子シリーズに触れたのは一作目の『神の手』ではなく『蟻の棲み家』で、以来すっかりはまって、現在に至る。
だからもしこの『踊る男』ではじめて望月作品に触れるという人がいたとしても安心して読んでほしい。読み終えたら私と同じく、すぐにシリーズの他作品も読みたくなること必至である。
『踊る男』。今回は、なんだか楽しそうなタイトルだな、と思った。でもその男の「楽しさ」がなにによってもたらされているのかを知った時、心がざらりとした。
本書は、ある事件を起こす井守拓実という二十代の男性と、その事件を追うフリーライターの木部美智子の視点から交互に描かれている。
冒頭から、井守拓実の異常かつ幼稚な思考が綴られていく。読みながら心のざらつきがどんどん増していく。でも読むのが止められない。
彼の持つ「自分の居場所はここではない」という感覚を、かつて私も持っていた。中学生の頃の話だ。クラスメイトのことをうっすら蔑んでいるくせに、無視されるのは嫌だった。自分の居場所はここではない、どこかもっと私にぴったりの場所があるはず、と思うことでどうにか平静を保っていられた。
そんな場所はどこにもないんだとようやく気づいた時には、二十歳を過ぎていた。居場所というのはどこかにあらかじめ用意されているものではなくて、自分が今いる場所でしかないのでそこで誠実にやっていくほかないのだと理解するまでに、さらに数年を要した。
井守に対するこの気持ちは、いわゆる同族嫌悪というやつなのだろう。なにかがほんのちょっとずれていれば、私もこんなふうになっていたのかもしれない。
心をざらつかせながらページをめくることは(それが読書の醍醐味のひとつであるとはいえ)心身にけっこうな負担がかかるものである。だから木部さんの視点にうつった時にとてもほっとした。荒れ果てた、ゴミだらけの街の雑踏から、清潔で静かな部屋に移動したようだった。
木部さんが読者にもたらす、この安心感はなんだろう。あれこれ考えて、前述の「ビスケットみたいな人」という結論に落ちついたのだった。
べたべたしたところがなくて、感情的に暴走したり、正義をふりかざしたりすることがない。被害者にも加害者にも、過度に寄り添ったり同情したりしない。自分を大きく見せようとしないし、それでいて堂々としている。相手によって態度を変えたりせず、とてもフラットな眼で世界を眼差している。自分の仕事と、他人の仕事の境界線を、きっちり守る。どうやったらこんなふうになれるんだろう。
作中の木部さんのセリフとして、「人間のあるべき姿なんて、本能ではないから」というものがある。
人間は、ただ本能のままに生きているだけでは、あるべき状態に到達できない。社会的なふるまいというものを誰かに教わり、あるいは周囲を見て学習し、そうしてやっと、社会に身を置くことができる。まちがった学習をしてしまうことも、当然ある。そうしてこの井守のような男が生まれてしまう。でも彼の異常さは、平凡な異常さだと思う。矛盾したことばだけど、そんなふうにしか言えない。誰しも大なり小なり持っているような、幼稚さや欲の発露である。
私が彼にかつての自分を重ねたように、多くの人が「もしかしたら自分も、なにかがほんのすこしずれたら、こうなっていたのではないか」と冷や汗をかくのではないだろうか。読んだ人と話したくなる。感想をじっくり聞いてみたくなる。そういう気持ちにさせてくれる本に、ひさしぶりに出会った。
作中にも登場するSNS上では、今日もさまざまな不満や欲望がくすぶり、あちこちで火の手が上がる。平凡な異常さにあふれかえっている。ああ、またかよ、とうんざりしてしまうほどに。
うんざりする現実を生きている私たちは、この世界を、どんなふうに生きていけばいいのだろう。なにかできることはないのか。そんなふうに思うけれども、でももう、心のどこかでちゃんとわかっている。できることなんか、たぶんない。
私たちにできるのはただしっかりと目を開いて、世界を見つめ続けることだけだと思う。目を背けたくなるような醜さも、自分にとって耳の痛いことも、都合の悪いことも、ひとしく。そのうえで誠実に生きる。木部さんのように、とはいかないかもしれないけど、すこしでも近づけたらいい。そう願いながら、生きていくしかないんだ。今はそんなふうに考えている。
(てらち・はるな 作家)




