書評

2026年2月号掲載

私の好きな新潮文庫

踊ること、生きること

草刈民代

対象書籍名:『カルメン』/『歌行燈・高野聖』/『筋肉と脂肪 身体の声をきく』
対象著者:メリメ、堀口大學 訳/泉鏡花/平松洋子
対象書籍ISBN:978-4-10-204301-1/978-4-10-105601-2/978-4-10-131658-1

 2001年秋にモスクワで「カルメン組曲」を踊りました。長年憧れていた作品です。二十世紀最高のバレリーナと称されたロシアのマイヤ・プリセツカヤさんの映像を何度も見てリハーサルに備えました。
 この作品はまだソヴィエト連邦時代、マイヤさんが国と戦いながら、ご自身でプロデュースなさり、世界的に有名になった渾身の作品です。マイヤさんにもリハーサルしていただく機会に恵まれ、コケティッシュな魅力がありながらも、当代一の芸術家がもつ華やかさ、神々しさを目の当たりにしながら教えていただきました。
 演じる役を深く理解するため、バレリーナ時代から原作や関連書籍は出来るだけ多く読むようにしてきました。小説のカルメンはマイヤさんが表現した女性像とは全く違いました。野性味に溢れ、生き延びるために手段を選ばない狡猾さや生活感のある女性だったのです。しかし、「カルメン組曲」はマイヤさんが作られたもの。お手本にしながら、私なりのカルメンを作り上げるつもりで稽古しました。

メリメ/著、堀口大學/訳『カルメン』書影

 2006年には韓国国立バレエ団で、コンテンポラリーダンスの巨匠、スウェーデンの振付家マッツ・エック版の「カルメン」に出演する機会を得ました。この「カルメン」は小説の世界観に近く、カルメンの生の欲望に惹かれてしまったドン・ホセの哀れさ、その残酷さが描かれた作品でした。
 その稽古中に、ある記憶が蘇ってきました。
 1992年に旧ユーゴスラビアやルーマニアなど四都市に招かれて「ジゼル」を踊ったことがあるのですが、ある時、セルビアのノヴィ・サドからベオグラードへ向かう長距離バスの停留所で、ひときわ目を引く女性たちを目にしたのです。光沢のあるドレスに、コインを編み込んだ三つ編み。周囲とは自然と距離ができるほどに張りつめた気配を感じましたが、彼女たちが周囲の視線に頓着しているようには見えませんでした。
「あの人たちはロマの人だよ」。同行のダンサーが教えてくれました。
 それはまさに、メリメの小説世界やマッツ・エックの世界観と重なるものでした。そしてその記憶が、私のカルメン像を支えるイメージの核となっていったのです。
 つい最近読んだのは『歌行燈・高野聖』です。作曲家の池辺晋一郎先生が作られたオペラ「高野聖」が2011年の初演以来十四年ぶりに再演されることになって、昨年11月に金沢へ観に行きました。語りを坂東玉三郎さんが演じていらっしゃいましたが、素晴らしい存在感でした。

泉鏡花『歌行燈・高野聖』書影

 以前、同じく泉鏡花の「天守物語」を、玉三郎さんの富姫で拝見しています。作品の世界から抜け出てきたような佇まい、セリフ回しに圧倒されました。「東海道四谷怪談」でお岩を演じられたときにも、「うらめしや~」と、宙に吊られて舞台上に迫り出していらっしゃった時には本当にお化けが出てきたのかと思ったほどでした。あの浮遊感、人ならざるものの凄み。どうしてあんなことができるのでしょう。
 オペラ「高野聖」も、作品の真髄が表現されていて、ぜひ原作を読んでみたいと思って手に取ったのです。
 独特の文体に最初は戸惑いも感じたのですが、この文体だからこそ、僧侶の語りに真実味を感じ、幽玄の世界に引き込まれるような感覚がありました。
 平松洋子さんの『筋肉と脂肪 身体の声をきく』は、身体と食事の関係をどう考え、どう実践していくか、とても興味深かったです。

平松洋子『筋肉と脂肪 身体の声をきく』書影

 バレリーナ時代はよく踊りたいという目標が最優先で、食事もそのための行為でした。食べるものと食べないものの線引きも明確でしたし、食べないと決めたものは見るのも嫌だと思うくらい、徹底していました。
 平松さんとはお食事をご一緒する機会があったのですが、「食」を心と身体全体で楽しむ姿勢に感服させられました。「これは一口でいくのがいちばん美味しいわよ」「このデザートはすぐに食べてほしいの」など、丁寧に説明してくださるのです。食が単なる栄養補給だった時間が長かった私には衝撃的な経験でした。
 どう生きていきたいか、どんな自分でいたいかということがしっかり見えていないと、自分に合った食事には辿りつけないんですよね。これから長く健やかに働くためにも、食事のあり方に真剣に向き合わなければならない時期にきていると感じています。

(くさかり・たみよ 俳優)

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