対談・鼎談
2026年3月号掲載
佐藤賢一『釣り侍』&村山由佳『DANGER』刊行記念対談
好敵手としての三十年
佐藤賢一 × 村山由佳
同期デビュー33年にして、初の対談が実現! 互いの作品へのリスペクトが溢れるあまり、焦りを抱いた時期もあったようで……。
対象書籍名:『釣り侍』/『DANGER』
対象著者:佐藤賢一/村山由佳
対象書籍ISBN:978-4-10-428005-6/978-4-10-339953-7
村山 佐藤さんとは、1993年の小説すばる新人賞の同期デビューですが、対談は初めてですよね。
佐藤 そうですね。村山さんは『天使の卵』、僕は『ジャガーになった男』という作品で受賞しました。同じ月に新刊が出るのも、デビュー作を除いたら初めてかもしれません。
村山 『釣り侍』を読んでいる間は、とにかくお腹が空きました。私が小説で疎かにされて一番気になるのは、登場人物が何を食べ何を糧にして生きているのか、なんです。そしてこの枚数で、これだけのドラマを展開なさるのが、やはりベテランの技だと思いました。同じキャリアの私がベテランの技、と申し上げるのも何なんですけれど(笑)。釣りはなさるのですか。
佐藤 ちょくちょくやります。
村山 私も昔はよくしていましたが、波がスーッと低くなった時に海の中が見通せるという一瞬をとらえる描写があり、そこでいっぺんに著者を信頼しました。続編があると嬉しいです。
佐藤 僕も現代と戦中・戦後を行き来しながらシベリア抑留を描き切った『DANGER』の世界にもっといたいと思いながら、あっという間に読み終えてしまいました。村山さんの歴史を扱う手つきは僕とは違うので、「こういう書き方もあるんだ」と感心しましたね。それから『DANGER』の中の現代が1992年・1993年の設定で、まさに僕たちがデビューした頃。主人公の女性編集者や男性記者の年齢も、ちょうどデビュー時の村山さんと僕ぐらい。当時の色んなことが懐かしく思い出されるという、個人的な楽しみ方もさせていただきました。
村山 三十年も前のことなのに、つい昨日のことのように記憶しているんですよね。小説すばる新人賞の授賞式の日、佐藤さんは仙台から、私は房総鴨川から上京したのですが、家を出た時間が同じだった、という話をしたことを覚えています。
佐藤 僕も覚えています。仙台から二時間もかからないですよと言ったら、ちょっと待って、と仰られて。
村山 当時はまだ仙台に行ったことがなかったんです。ところで地方と言えば、『釣り侍』に出てくる方言のイントネーションも楽しかったです。あえて方言の意味は書かずに、グイグイ入れてある。昔の単位の説明もほとんどなく、時代小説だと現代の読者にわかってもらおうと説明過多になりがちですが、例えば、一尺、二尺だったら飛び越せるけれど、五尺になるとこの歳だと躊躇すると書かれていれば、それだけで尺の距離感が身体でわかります。私の文章もこうありたいなと思いました。
佐藤 僕はヨーロッパを舞台にしてきたので、説明をしないと始まらないところがあったのですが、それももう嫌だな、と思っていたんです。説明のせいでページ数が増えてしまいますし。だから今回は気持ちがすごく楽でした。架空の藩を舞台にした架空の人物の物語という意味では、初めての時代小説になります。
村山 初めてだなんて言われないとわからないくらい、ご自身のものにされている感じがします。時代小説に挑んだのには、何かきっかけがあったのですか。
佐藤 編集者から「時代小説もそろそろいいんじゃないですか」と言われて考えてみました。「何がそろそろなんだろう」とは、あとで思いましたが(笑)。村山さんが仰ってくださったように、釣りの経験者にしかわからない景色や手触りを、こういう形でまとめることができて良かったです。
村山 主人公の妻の明江さんのキャラクターもいいですよね。ひとこと多い感じや、嫌味にも褒めているようにも取れる言葉選びなど、夫婦のやりとりもリアルでした。
佐藤 村山さんの戦争の描写も、目の前で見てきたかのようにリアルでしたよ。シベリアの場面は、どう想像力を働かせたのでしょうか。
村山 私の父がシべリア抑留者で、経験を割合に話してくれる人だったというのが大きかったです。私が「腿にある傷はどうしたの」と聞けば、「シベリアにいた時に枝で突き刺してしまって、なかなか歩けなくて大変だったんだ」と答えてくれたり。ロシアの歌や文学も、父を通して子どもの時から身近にありました。シベリアを書いたのはほとんど初めてだったものの、頭の中に広がる風景は初めてではない感じがしました。それは父の置き土産ですね。
佐藤 村山さんは、ご自身や身近な方の体験から小説を作る、というスタイルが多かったと思うんです。でも『DANGER』は個人の体験を超えたスケールで書いていらっしゃって、本や資料など、自分と遠いものから世界を構築していく力も強く感じました。
村山 『風よ あらしよ』で初めて伊藤野枝の評伝小説を書いた時、歴史を扱うことにかなり戸惑いました。電気がきていたのか、行灯か、蠟燭か、というところから始まって、一行目を書くのにとても苦労したんです。『DANGER』でも、自分が生きていない時代を、見てきたかのように書くことへの葛藤はありました。戦争を生き抜いた方々から、こんなではなかったと言われるかもしれないし。だから歴史小説のプロである佐藤さんにそう仰っていただけて、ホッとしています。
佐藤 翻って、僕は逆なんです。資料で調べたものから絞り出して小説を書くスタイルでしたが、『チャンバラ』あたりから、歴史の知識からは出てこないものを書いています。自分が体験したことをストレートに書くというのを、この歳になるまでやってこなかったのかと、我ながら驚いています。
村山 『チャンバラ』で足の指が草の根に引っかかり、そこで踏ん張るという描写がありましたが、これは想像力だけではなく、暮らしの中で体得しているから書けるものだと思いました。外国の歴史をずっと書いてこられた佐藤さんが今、根源的な身体感覚へたどり着かれているというのは面白いですね。
佐藤 経験を書いていると自覚するようになったのは、ほんとうに最近です。今までも無意識にはしていたのかもしれないけれど、経験を直に出す感じではありませんでした。やはりどこか、歴史に乗っかる形で書いてきたと思います。
村山 私としては、歴史というあんな大きなものに、よく怖がらずに乗れるな、と思います。それはそれで大変なことです。
佐藤 でも第二次大戦はそれこそ大変なテーマなのに、『DANGER』からは当時の空気が伝わってきて脱帽でした。この時代の話はなかなか書きにくいですよね。
村山 資料は山ほどあれど、あと一、二年で実体験を語れる生き証人はいなくなってしまいます。書きにくいと思うところと、せっかく父からも受け継いでいるのに私がサボるわけにいかないという使命感みたいなものが両方ありました。ある文学賞の選考会でご一緒した選考委員のみなさんが「この候補作には匂いも味もない。登場人物が何を食べ、どういう匂いを嗅ぎ、何を見ていたか、著者は興味がないのでは」と仰っていたことがあって、匂いや味を書かないと歴史小説は立ち上がってこないと学んだんです。だから『DANGER』でも、登場人物が食べ物を嚙んだとき、どんな味がしているのだろうとか考え始めたら、頭から離れなくなりました。
佐藤 歴史とは直接関係のないディテールが、むしろ歴史小説の強度を高めると思っています。例えば、ナポレオンは食に淡白で、エネルギーを補給するためだけに食事をするような人でした。でも彼の妻の食卓は豪華で美味しいものだらけで、でないとこの家にはお客さんが来なかったでしょうね。今の人間と過去の人間がつながる瞬間は、そういうディテールに現れる気がします。
合わせ鏡のふたり
村山 佐藤さんはいつから歴史に惹かれるようになったのでしょうか。
佐藤 昔から好きでしたが、面白いと改めて思ったのは、大学生になって『三銃士』を読んだ時です。「ワインを飲む時、ビスケットはこうやって食べるのか」というところから興味が湧いて。大学は史学科ではありませんでしたが、卒業する頃がバブル期で、いつでも就職できるから大学院に行ってもいいかなと、軽い気持ちで進学したんです。でもバブルがはじけて就職できなくなり、本気で勉強するしかなくなってしまった。初めて小説を書いたのもその頃です。
村山 『ジャガーになった男』を読んだ時、小説はこんなに大きな噓をつけるんだとびっくりしました。当時、高校の同級生だった辛口の友人に「『天使の卵』には新しいものが何もないじゃん。『ジャガーになった男』を読んでみなよ。よく同時受賞したね」と言われてしまって(笑)。私にはできない芸当で、エンジンが違う、という感覚がありました。そして佐藤さんはデビュー七年目に『王妃の離婚』で直木賞を受賞されて。そのとき私、ほんとうに焦ったんです。私たちが同期ということは周りの誰も気にしていないだろうし、書くものも全く違うんだから、と思おうとはしたんですけれど。
佐藤 僕もデビュー直後は卑屈になっていましたよ。『天使の卵』は順調に版を重ねていて、並びで出してもらった広告も村山さんは大きくカラーなのに僕は小さくモノクロ。すぐに二作目が出せている村山さん、片やただの一枚も書けない僕。新人賞を取ると前途が開けたような気持ちになるけれど、デビューしたあとは、実はものすごいサバイバルだとわかってくる。そこで自分は生き残れるのかなと切実に思いましたね。二作目の『傭兵ピエール』が出せたのは、1996年です。
村山 山田詠美さんが絶賛していらして、書ける人たちの目にとまっているのがとても羨ましかったです。
佐藤 だからなんとかやっていける、生き残りをかけてやっていかなきゃいけないんだ、という気持ちになれて、自分がどういうものを書けるか、どういうものを書きたいかを考えるようになりました。ただ、我が道を行き過ぎた面もあります。僕が直木賞を受賞したことで、今後はヨーロッパ史の書き手が増えるだろうと思っていたのに、二十年経っても増えない(笑)。
村山 ほかの作家にとっては、もう佐藤さんがいるから、となりますよね。
佐藤 この縄張りを守らねばという気持ちと、これでいいのかなという気持ちの間で揺れることもありました。『ダブル・ファンタジー』で村山さんがいきなり脱皮したように感じられて、村山さんはどんどん次の段階に行くのに、僕はずっと同じことをやっている、この先は変えていかないと、と真剣に考えるようにもなりました。だから日本史や、歴史物というより時代小説寄りの作品を書くようになったのは、村山さんから刺激を受けた結果でもあります。
村山 でも私は私で、佐藤さんは一つのジャンルで重鎮のようになっていくのに、自分はフラフラしていて、恋愛小説、青春小説の書き手として軽く見られているのでは、だから直木賞の候補にすら上がらないのでは、と悶々としていましたよ。直木賞も、今まで書いてきたものと全く違う『星々の舟』でいただいたので、これからどういう小説を書けばいいのか、受賞後は道に迷う感じがあったんです。私には誰にも負けないと思える世界がなく、鯛が自分の身で出汁を取るような書き方をしながら、時に脱皮ができたかのように自らに信じこませようとする、というのを繰り返してきました。『風よ あらしよ』で、知らない歴史を必死に調べて提示する書き方を楽しんでいることに気づけた時、やっと自分の脱皮を信じることができました。
佐藤 『風よ あらしよ』での脱皮の時も、すごくショックを受けました。改めて格の大きさを見せつけられたと思うと同時に、これまで自分とは作風が全く違うと思っていたのに、僕も『最終飛行』でサン・テグジュペリを書いた時期だったので、伊藤野枝を取り上げた村山さんと「実はそんなに違わないのかも」とも考えました。
村山 この三十年間、お互いに合わせ鏡のように、意識していたとは思いませんでした。こんなに長くおしゃべりすること自体初めてで、デビューから今日までの間に話した時間を合計しても、十分に満たないですよね。ふたりとも、よく生き残りました。
佐藤 村山さんの小説を読むといつも「あ、村山さんだな」と思うのですが、デビュー時からそうでした。だから村山さんが先に売れて自分が取り残されても、これだけ世界を持っている人は売れるだろう、自分も頑張らなきゃ、と思えたんです。
村山 それを言うなら『釣り侍』でも、目隠しされてもわかる佐藤さんの洒脱な匂いみたいなものがありました。それを文体とくくると、こぼれるものがいっぱいある気がして、あえて匂いと言いたいです。
佐藤 文体だけではなく、作家から押し出される強烈な個性ということでしょうか。僕は基本、筆一本できましたが、これからの人たちはすごく大変だろうと思います。「新人賞を取っても仕事は辞めないでくれ」と編集者に言われてしまいますから。
村山 昨今、若い人に専業作家になることを軽くはお薦めできませんよね。そんな状況を打破しようと思うと面白い小説を書くしかないのですが、昔に比べると娯楽の幅が広がって、本を読むのに費やせる時間が少なくなってしまっています。でも、小説は面白いと声を大きくして言いたいです。『釣り侍』の御留め場にしても、私が見ているものと他の人が想像するものと、たぶん違う景色なのだろうけれど、私だけのものとして、ずっと頭に留めておくことができます。
佐藤 本来、小説は参加型の娯楽ですよね。作家と読者が共同作業で一つの世界を作り上げるという、ある意味、究極のロールプレイングゲームです。その楽しさを知ってほしい。出版業界が最も良かった頃から比べれば、初版部数も売れ行きも、だんだんと落ちてきています。「三十年、よく生き残りました」なんて、のんきなことを言っている場合ではないかもしれず、これからの三十年をどうするかを考えないといけないとも思います。僕らを選考してくださった五木寛之さんは今九十代ですが、三十年経っても、僕はまだ九十になっていませんから。
村山 デビュー三年目で五木さんと対談した時、五木さんはデビュー三十年でした。今の佐藤さんとそんなに年齢が変わらない人として私の前に座っていらしたのだと思うと、驚きです。ふだん、健康には気を付けていらっしゃいますか。
佐藤 年相応に薬を飲んだりはしていますが、これという持病はありません。作家を続ける上で、最終的に頼みになるのは才能よりも、健康や体力、みたいなところはありますよね。
村山 確かに、あと一晩頑張れる体力は必要です。ここで原稿を渡してもおそらく編集者からOKは出るけれど、妥協せずに身体に鞭打って、もうひと頑張りできるかどうか。そこを支えてくれるのは結局健康体なのかなと、年をとればとるほど思います。
佐藤 今年の夏以降に出る予定の本の原稿が4200枚くらいあって、これでも1000枚近く削ったのですが、削るのにも体力が必要なんですよね。削ることによって加筆が必要になったり、整合性の問題も出てきますし、それも含めて、体力はありがたいと思います。若い時は考えもしませんでしたが。
村山 三十年後もまた、好敵手としてお目にかかりたいものです。
佐藤 この歳ですから、三十年ではなく、十年ごとではどうでしょう(笑)。
村山 そうですね。お互い生き残って、十年後に再び乾杯しましょう。
(さとう・けんいち 作家)
(むらやま・ゆか 作家)



