書評

2026年3月号掲載

納棺の現場のありのままの出来事

大森あきこ『いつもの場所に今もあなたがいるようで』

井上理津子

対象書籍名:『いつもの場所に今もあなたがいるようで』
対象著者:大森あきこ
対象書籍ISBN:978-4-10-354262-9

「納棺師」という職業をご存じだろうか。
 映画「おくりびと」を観たから知っている。亡くなった人をきれいにして棺に入れる仕事でしょ? そんなふうに、ふんわりした輪郭で職業名が共有されていて、その実像は意外と語られてこなかったように思う。
 と、ちょっと上から目線的に書いたのは、私には『葬送の仕事師たち』という著作があり、納棺師職の人たちも取材したからだ。先ほど書いた「ふんわりした輪郭」は合っている。湯灌(故人の体を湯で洗う)を兼ねることも少なくないが、顔にメイクを施すなど遺体の状態を整え、死装束に着替えさせ、棺に入れる。基本はそういう仕事だ。もっとも、メイクの前に遺体の鼻の穴に綿花を詰めたり、髭を剃ったり、口を閉じさせたり、多大な技術も要する。そして思い出されることがもう一つ。納棺師たちから「故人さまは、物理的には遺体だが、ご家族にとっては『お父さん』『お母さん』……のまま」と聞いたことだ。大切な人を亡くし、まだ死の衝撃が生々しい人たちを気遣いつつ、その人たちと時間を共有する仕事なのである。
 本書の著者、大森あきこさんは、父親を見送った際に「お別れが上手にできなかった」と忸怩たる気持ちになったことを引き金に、38歳で営業職から転職した納棺師だ。以来、18年。延べ4000人以上の納棺に立ち会ってきたという。前著『最後に「ありがとう」と言えたなら』に続き、本書には、彼女が担当した納棺の日の、17のリアルな現場の物語が詰まっている。読むにつれ、「遺族(家族)の心にそっと寄り添う」という特技を持っている人だ、とひしひしと感じる。自身の言動、もとい思いをベースに、本書にはありのままの出来事がやさしい言葉で綴られているのである。例を引く。
 看護師として忙しく働いてきた50代の女性が癌で亡くなったお宅で。女性は痩せていたので、娘さんたちの希望にそって、少しふっくらとした顔に整え、お気に入りのワンピースへの着替えも終わったときのことだ。
 女性の長女が、「亡くなる前、お母さんに『私、いいお母さんじゃなかったよね』と言われ、『いつも好きなように生きてきたもんね』と返した。『お母さんの子供で良かった』となんで言えなかったのだろう」と後悔を吐露し、「わかる」と即座に共感した次女が、「私も本当は『ありがとう』といっぱい言いたかったけど、言えなかった」と悔やむ。姉妹のこのやり取りを耳にした大森さんは号泣してしまいそうになるが、やがて冷静さを取り戻して思う。「(生き方・暮らし方の)正解はどこにもなくて、みんな悩みながらお母さんやお父さんをしている」と。後に、曰く「ニヤニヤしたくて仕方」がなくなるほど、姉妹の様子が変わる不思議。メイクの時間が「ありがとうはちゃんと(お母さんに)伝わっている」と二人に思わせたのだった。
 一人暮らしで倒れ、会社の同僚に発見された、60代の男性の散らかった家で。大森さんはその会社の同僚と一緒に部屋を片付けて、ようやく棺を搬入したのだが、やってきた娘さんが無精髭の故人を見るなり「みっともない」と吐く。「高校を卒業してから、(父に)会ったのは一度きり。子供が生まれて1歳の誕生日に近くの公園で会ったのが最後。愛情の薄い人だった」と話すのだが、故人がいつも着ていたジャンパーを棺に入れようとしたときのことだ。
 ポケットから、どんぐりが出てきた。同僚が、「お孫さんにもらったと、いつもお酒を飲みながら自慢していた」との旨を言う。娘さんは、「だって、(公園で父と会ったのは)ずっと前だよ」と言いながら、どんぐりをずっと握っていた。「目の前で起こっているのはまるで映画みたいな情景です」と大森さんは書く。
 慟哭が聞こえてくるようなシーンもあれば、言葉少なに記憶と向き合うシーンもある。納棺の場は、遺された人たちがそれぞれの人生を携えて立ち寄る場なのだと、読み終えて思った。
 本書はいろいろな味わい方ができると思う。まずは、ストレートに大森さんの立場になって。納棺師という仕事の疑似体験ができ、目指す人には良き手引きとなるだろう。もう一つは、死者を取り巻く現代文化譚としての読み方。さらにもう一つは、読み手自身の側に死者を引き寄せて読むことだ。自分がいい年になってきたからかもしれないが、「私のそのとき」を想像すると、興趣が尽きない。いずれであっても、納棺の現場を通して、私たちの暮らしや死との距離が、静かに浮かび上がってくる。

(いのうえ・りつこ ノンフィクションライター)

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