書評

2026年3月号掲載

今月の新潮文庫

〈偶像〉の行き着く果て

まさきとしか『大好きな人、死んでくれてありがとう』

大矢博子

対象書籍名:『大好きな人、死んでくれてありがとう』
対象著者:まさきとしか
対象書籍ISBN:978-4-10-106661-5

 まさきとしかの小説は殺人や死体発見などの衝撃的なエピソードから始まるものが多いため、しばしばミステリに分類される。だが彼女の作品を多く読んでいる読者なら、決してミステリ「だけ」ではないことを、すでにご存知だろう。
 一般的なミステリを(かなり乱暴だが)事件の背景を解き明かし真相に到達する小説とするなら、まさき作品は少々趣を異にする。事件とその真相はもちろん主軸として存在するが、著者が描き出すのはむしろ〈事件によって炙り出されるもの〉だ。何が事件を引き起こしたのか。事件によって何が変わったのか。登場人物ひとりひとりの内なる声が──ともすれば自分自身ですら気づいていなかった声が、事件を媒介にして浮かび上がる。それがまさきとしかのミステリである。
『大好きな人、死んでくれてありがとう』は、解散した男性アイドルグループの一員だった南田蒼太が、北海道Y市の廃ホテルで滅多刺しの遺体となって発見されたというエピソードから物語が動き出す。蒼太はすでに引退から七年が経って親戚の経営する菓子メーカーで働く一般人だったが、グループで最も人気のあった雪宮純が主演級の俳優になっていることもあり、メディアは大きく扱った。
 決して国民的アイドルというレベルではなかったにもかかわらず、殺人の被害者というセンセーショナルな〈再登場〉は、彼の暮らす町や彼が勤めていた職場に大きな影響を与えた。いい人だったと持ち上げる社内の人々、聖地巡礼と称して訪れるにわかファン、押し寄せる取材陣、それを利用するメーカー……。
 物語はここから六人の視点人物によって、事件後の出来事が綴られる。
 蒼太と同じ会社で働いていたパートの女性は、事件当夜に蒼太とコンビニで会っていたことから関与を疑われる。かつて同じグループに在籍していたメンバーは、ありし日の蒼太が紹介される映像に自分がほとんど映っていないことに不満を持つ。事件の取材に来た雑誌記者は、蒼太を偶像視する町の人々に違和感を抱く。十代で両親を失った蒼太を引き取った伯母は、夫や娘が事件の話を避けることに不満を感じる。アイドル時代のマネージャーは雪宮との会話から自分の目に映っていた蒼太のことを思い出す。そして〈犯人〉は……。
 それぞれの話で描かれるのは、事件によって炙り出された各人の「こうであったらいいのに」という欲求だ。「こうであったらいいのに」という願望自体は多かれ少なかれ誰しも心の中に持っている。だが彼らは、その願望を「こうであるはずだ」という真実にしようとする。あるいは真実だと思い込もうとする。他者にもそれが真実だと認めさせようとする。
 信じたいものだけを信じる、という現象はSNSなどでも日常生活でもよく目にするが、その起点に元アイドルを据えたところに唸った。アイドルとはもともと〈偶像〉という意味だ。その個人がどういう人物かにかかわらず、人々は都合のいい虚像を仮託し憧れ、熱狂する。大半のファンはわかった上で推し活を楽しんでいると思うが、それでも熱愛報道にがっかりするという程度の〈偶像崇拝〉なら経験した人も少なくないだろう。いわゆる〈ガチ恋勢〉なら尚更だ。
 なぜ「大好きな人」なのに「死んでくれてありがとう」なのか。虚像を虚像のままにできるからだ。虚像を裏切る実像が出てくる恐れがないからだ。彼らにとって大切なのは、自分の信じたい真実、「こうであったらいいのに」の方なのである。そんな肥大した自我と暴走する欲望が彼らを動かし、そして破滅へと向かわせる圧巻の筆致は、時にはじわじわと、時には一撃で、読者を搦めとる。これぞまさきとしかの真骨頂と言っていい。
 各話それぞれに仕掛けやどんでん返しが含まれており、単体としてもレベルの高いサスペンスになっていることにもご注目いただきたい。特に第二話は、嫉妬や虚栄心というテーマとミステリの仕掛けが絶妙にマッチした、実にトリッキーな逸品である。もちろん、最終的には蒼太を殺した犯人も、その動機も明らかになる。犯人探しのミステリとしても秀逸だ。
 だが読み終わって残るのは、蒼太というアイドルの〈不在〉が炙り出した人々の底知れないエゴなのである。彼の実像は、物語になんら寄与しない。それが虚しくも悲しい。

(おおや・ひろこ 書評家)

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