書評
2026年9月号掲載
ちょっと変で懐かしくて可愛くて
さくらももこ『ふじさん』
対象書籍名:『ふじさん』
対象著者:さくらももこ
対象書籍ISBN:978-4-10-407307-8
昨年、さくらももこ展に行ってきた。
そこで生原稿を見て慄いたのは、修正液の少なさだった。『ちびまる子ちゃん』の原稿は、なんだかびっくりするほど修正液が使われていなかった。さくらさんはどこかで「まる子の顔は少し変わると可愛くなくなってしまう」というようなことを書いてらしたのだが、私もそう思う。一ミリずれただけでなんだかさくらさんの絵が崩れてしまいそうな気がしてくる。だが、生原稿を見ても、直した跡があまりない。
さらに、エッセイの原稿も展示されていた。見慣れたさくらさんの字であのエッセイたちが綴られていた。そしてそこでもやはり、消しゴムを使った跡も、あとから文字を修正したりした跡も、全然見えない。もしかしたらしっかりと下書きをしてから書くタイプだったのかもしれないが、と自分の脳内で注釈をつけて、しかしその一秒後に「いやあ」と思った。さくらさんは筆が速そうに見える。エッセイも一発書きだったのではないか。
『ふじさん』を読んでもその印象は変わらない。さらさらと読めてしまう。ふふっと笑えてしまう箇所もある。しかしそのさらっと読める文体を司る技術のことを思うと、背筋が冷たくなる。なぜさくらさんの文体はこんなにも読みやすく笑えてしまうんだろう? 不思議だ。
笑える文章は難しい。いちばん難しいかもしれない。笑わせようとすると、途端に読者は冷める。文章は、漫才のように他人のツッコミもなければ、落語のように顔で笑わせることもできない。
だが、さくらさんは大袈裟なツッコミや顔芸はしない。いつもさくら作品を読み返すたび思うのだが、私の記憶のなかの文体よりも、スンッと冷めた佇まいをしている。『ちびまる子ちゃん』の絵は表情豊かで笑わせるためのオーバーな表現もあるのだが、エッセイになると、途端にさくらさんは声が低くなる。
ヒロシと自分のためにマグロとウニを買い、スシ屋に入った。
スシ屋に入るという時になり、やっと石井さんが到着した。もう全部見学が終わってから来るなんて、ただスシを食いに来ただけじゃねぇか。しかも、遅れた事に特別な理由も無いようだ。単に寝坊しただけらしい。
(「ニッポンの胃袋探検 早朝の築地レポート」)
この文章のすばらしさよ。単なる遅刻の話である。書きようによっては石井さんの台詞を入れたり、寿司屋の描写を入れたりもできただろう。しかしさくらさんのスポットライトは淡々と進む。くどくない。だけど「スシを食いに来ただけじゃねぇか」という突然のツッコミには笑ってしまう。つるつる食べられるお蕎麦の、少し効く薬味みたいだ。
思えば、さくらさんの活躍した時代は、みんながステーキやパフェを大盛りで載せに載せまくっていた頃の日本だった。バブルが崩壊して尚、日本はまだまだハイテンションに踊っていた。さくらさんの旅行記を読んでも「円が強い……」と思う現代の読者は多いのではないか。日本で資本主義がサーカスしていたような時代だった。
しかしそんな平成の日本で、さくらさんはひとりスンッと立ち、自分の描くべき風景を描いていた。まるで変わらずおいしい蕎麦を出し続ける職人みたいに。
たとえば平成に『ちびまる子ちゃん』が描き出したのは昭和の風景である。『コジコジ』は資本主義の狂乱から外れてひとり生きる宇宙生命体を描く。それらはさくらさんにとっては、時代を超えて紙に落とし込むべきものだった。そしてさらに言えば、それは飼っていた二匹のリクガメのことであり、素敵なホテルでもう帰りたいと言い出す息子であり、かわいい小型家電であり、山梨でヒロシのために買ってきたドジョウでもある。本書におさめられたどのエッセイを読んでも、その古びのなさに驚く。
さくらさんの文章を読んで、私たちはつい笑ってしまう。しかしその笑いは、決して時代のなかに規定されたものではない。私たちの少し懐かしい、なにか変なものや可愛いものへの素朴なノスタルジーをくすぐる。だから永遠にさくらさんの笑いは私たちの近くにいる。
さくらさんがあまり原稿を修正しなかったのは、書くべきもの描くべきものが、自分の脳内にいつでもあったからではないだろうか? 時代や周囲によって変わるものではない。きっと、さくらさんの頭の中に変わらず佇んでいる「ちょっと変で懐かしくて可愛い風景」が、さくらさんのペン先を導き続けたのではないか。
『ふじさん』のエッセイはどれも過不足ない文章になっている。くどくないし、いつでも触れられる。そういえば、ふじさん、というタイトルはすごい。まるでさくらももこ作品そのものみたいな言葉だ。さくらももこは、富士山みたいに日本のずっとそこにある懐かしい頂なのだ。
新潟のトキの耳かき、私も買いたいなあ。そんなもの見たことないのに、たぶんちょっと変で懐かしくて可愛い気がしてくるから、やっぱり不思議である。
(みやけ・かほ 文芸評論家)



