書評
2026年10月号掲載
今月の新潮文庫
酒場ライターが気ままに綴る、幸せな酒の場面たち
パリッコ『この世には飲まなきゃいけない酒がある』
対象書籍名:『この世には飲まなきゃいけない酒がある』
対象著者:パリッコ
対象書籍ISBN:978-4-10-107151-0
本書は、作家/酒場ライターを生業とする僕の、単著・共著合わせて22冊目のエッセイ集だ。歴史ある新潮文庫のラインナップに初めて加えさせていただける1冊でもあり、目下、身に余る光栄に震える日々を送っている。
内容は、いくつかある連載のなかでもいちばん肩肘張らず、飲んだ酒にまつわるあれこれを日記的に綴っているニュースレター「大人のハッピーセット」を再編集したもの。テーマごとに大きく5つの章に分かれ、酒場、家、旅先などで飲んだ、個人的にうまかったり印象深かった酒、つまみ、それにまつわる出来事についてがひたすらに続く。また、この本を作ろうと声をかけてくださった編集者の青木大輔氏が読みたいと言ってくれて、僕も大好きな、大阪、京都、神戸エリアで飲んだ記録を「関西で飲む」編としてたっぷり収録した。
ところで本書には、僕にとって初めての試みがひとつあった。それが『この世には飲まなきゃいけない酒がある』というタイトルに関して。
これまでの本はすべて、自分でタイトルを考えるか、編集者さんとあーだこーだ相談して決めるかが基本だった。ところが、大人のハッピーセットはニュースレターの名前であって、このエッセイ群のみを指すものではない。文庫化に際しては、新しいタイトルがあったほうがいいだろう。そこで有能な若き担当編集者の鈴木大雅氏が言った。
「僕のほうでも案をいくつか出してみますね」
今回は、それにのっかることにした。自分で案を考えるのはやめてみた。なんとなく、そのほうがいいような予感があった。断じて、サボったわけではない。
そして次の会議の際、鈴木氏が複数用意してくれていた案のうち、『この世には飲まなきゃいけない酒がある』だけが、なんだか資料の用紙から浮き上がって見えた。「これ、いいですね」と言うと鈴木氏は「実はいちおしでした」と答え、すんなりとタイトルが決まった。
その日はそのまま、青木氏、鈴木氏と飲みに行った。店名は伏せるが、僕が前から気になっていた町中華を提案したら、おふたりはいいですねと同意してくれた。
ここが、予想をはるかに超えてディープな店だった。メニューが小さな店内の壁じゅうを埋め尽くしていて、とてもじゃないけど把握できない。チャーハンとラーメンのバリエーションだけで50種類くらいはありそうだ。それ以外の料理も意味不明なほどにあるし、はてはパスタ、うどん、日本そばまである。お客さんもたくさん入っているのに、それを調理担当のご主人とフロア担当の女将さんのおふたりでまかなっているようだ。無理じゃないか……?
いったん落ち着こうと、人数ぶんの生ビール3つを頼む。すぐに生ビールが4つ運ばれてきて、我々が「頼んだのは3つなんですけど」と伝えると、女将さんは「あれ?」と言っている。ここで笑ってしまうと同時に、僕の頭のなかにある言葉が響き渡った。
──この世には飲まなきゃいけない酒がある!
別にものすごい奇跡が起きたわけではない。むしろ人によっては憤慨する出来事でもあるだろう。けれども今、まさに目の前に、僕が飲まなければ廃棄されてしまうであろう“飲まなきゃいけない酒”が現出した。酒場における、こういうなんとも言えない瞬間のおかしみを味わうために、僕は酒を飲んでいるのだ。すぐさま女将さんに「どうせ1杯目はすぐ飲んじゃいますし、このテーブルで引き受けますよ」と伝え、3人で4杯のビールを飲んだ。
その後もハプニングは絶え間なく続く。我々が頼んだ料理は「餃子」「牛皿」「激辛焼きそば」「レバ塩」「肉野菜炒め」。ビールからホッピーに移行し、しばらくは談笑しながら飲んでいたが、そういえば料理がぜんぜんやって来ないことにやがて気づく。やっと1品目の餃子が届いたのは、注文から30分後だった。考えてみれば、案の定だ。
その後も30分ごとに牛皿、焼きそばと到着し、その時点でもう1時間半経っている。隣席の客も同様の状況らしく、女将さんに「さっき頼んだ〇〇、いつできるの!?」と聞いている。それに対し女将さんは「うちは注文しても、出てこない料理は品切れなの!」と、独特すぎる理論を展開している。実際我々のテーブルにも、レバ塩と肉野菜炒めは最後までやって来なかった。
店を選んだ僕は、申し訳ない気持ちの一方で、この珍しい経験が楽しくてしかたなくもある。救われたのは編集者おふたりの寛大な対応で、店員さんに文句を言ったりすることもなく、この状況をともに楽しんでくれている。
その間、酒だけはたらふく飲んだ。その度「ほら、また飲まなきゃいけない酒が到着しましたよ!」と言い合いながら。なんて幸せな酒だろうか。
と、いうようなメンバーで一生懸命作ったのが、本書。内容もだいたいこのエッセイのような文章がひたすら並んでいると考えてもらって差し支えない。もしも気になったら、ぜひお手にとってみてください。
(ぱりっこ 酒場ライター)


