書評
2026年10月号掲載
縄文にさかのぼって見えた「天皇の正体」
関裕二『古代天皇の正体』(新潮新書)
対象書籍名:『古代天皇の正体』(新潮新書)
対象著者:関裕二
対象書籍ISBN:978-4-10-611137-2
天皇とは何なのか? 天皇自身が強い権力を持っていたわけではないのに、なぜ皇統は続いてきたのか。具体的に、どのような形で成立したのか。世界の他の王家と比べ、女帝の存在が際立つのはなぜなのか。これらの謎の答えは、古代史を掘り返すことで、明らかになるはずだ。
天皇が強い権力を持っていないのは、初代とされる神武天皇の時代からだ。それは皇統の危機に際し、応神天皇の五世の孫として担ぎ出された継体天皇も同じ。継体の後、主な三つの系譜が一つの皇統に統一されていく。
その間、皇統は男系で続いていくが、男王自身の力が強かったわけではない。通い婚で生まれた皇子は、たまに家にやってくる父(天皇)ではなく、育ててくれた母(妃)とその祖父母のファミリーの一員であり、実権を握るのは、いわゆる外戚(母のファミリー)である。大王(天皇)は、妃の尻に敷かれ、ひたすら祭祀に専念し、国の安寧を願ったのだ。
女帝の存在が目立つのも特徴だ。そもそもわが国には女性への崇敬の念があり、邪馬台国の卑弥呼と台与をはじめとして、かつては日本列島の各地に女王が存在した。ヤマト建国によって男王の時代が訪れても、危機に際しては、女帝を立てそれを乗り越えようという伝統が首をもたげる。国際関係が緊迫した時代に立った推古天皇はその例だ。
ちなみに、推古天皇は蘇我系とされているが、私は懐疑的だ。なぜならば、藤原氏の思惑にまみれた『日本書紀』を信用しすぎるのは危険だからだ。蘇我系の『元興寺伽藍縁起幷流記資財帳』や物部系の『先代旧事本紀』を参照すれば、本当の史実が見えてくる。推古天皇は物部系というのが、私の仮説だ。
日本列島人は、長い間独裁王を排除する社会を守ってきた。この伝統の起源をさかのぼっていくと、縄文時代にたどり着く。三内丸山遺跡の発見により「縄文文明見直し論」が盛んになった。世界レベルの知恵と技術を保有していたと騒がれたのだが、縄文人の本当のすごさはそこではない。
世界中の新石器時代人が磨製石器を手に入れて森を伐採して農耕を始め、文明が発展していった。しかし、同じ新石器時代人の縄文人は、本格的な農耕を拒み続けた。農耕と文明を選択すれば、その結果として強い権力が生まれ、お隣の中国のように大森林は消え去り、殺戮戦が展開されることを、本能的に察知していたのではないか。縄文人たちは、一万年以上も農耕に背を向け、組織的な戦争を避けることに成功していた。強い権力を嫌う性質は、このころからの伝統なのだ。
天皇とは何か。その答えを知るには、縄文時代から続く日本文化の本質を理解する必要がある。
(せき・ゆうじ 歴史作家)


