小川未明(オガワ・ミメイ)
(1882-1961)新潟県高田の生れ。本名健作。早大英文科卒。在学中に書いた小説「紅雲郷」が坪内逍遥に認められ、十数冊の短編小説集を刊行する。大正デモクラシー時代は社会主義運動に参加する一方、童話を積極的に書くようになり、『赤い蝋燭と人魚』(1921)など多くの童話集を出版。戦前の日本児童文学界で最大の存在となる。1953年文化功労者に選ばれる。
(1882-1961)新潟県高田の生れ。本名健作。早大英文科卒。在学中に書いた小説「紅雲郷」が坪内逍遥に認められ、十数冊の短編小説集を刊行する。大正デモクラシー時代は社会主義運動に参加する一方、童話を積極的に書くようになり、『赤い蝋燭と人魚』(1921)など多くの童話集を出版。戦前の日本児童文学界で最大の存在となる。1953年文化功労者に選ばれる。