インタビュー
2012年7月号掲載
刊行記念インタビュー
得体の知れない引力に動かされて
『迷宮』
対象書籍名:『迷宮』
対象著者:中村文則
対象書籍ISBN:978-4-10-458805-3
写真/SHINJI KUBO
――中村さんは、2002年に25歳で新潮新人賞を受賞し、27歳で芥川賞を取られて、その後も着実に作品を発表され、今月11冊目になる本『迷宮』を刊行されます。デビューして10年となる今年刊行される本書は特別な一冊と感じられる小説です。この小説を書かれるにあたって、そのことは意識されましたか?
中村 小説を書く度に、これまでの最高傑作を、という意識はあるのですが、今回は特にその思いが強かったです。
ちょうど節目にくる小説なので、自分の名刺代わりになるような作品を書きたいと思いました。デビューの頃の原点にある意味で帰りつつ、かつ新しいことをやろうと。新たなデビュー作のつもりで書きました。十年やってこなければこういう小説は書けなかったと感じています。
――主人公の「僕」は、迷宮入りとなった、一家殺人事件の生き残りである女性とある理由で知り合い、惹かれていきます。「僕」は、現場の状況から「折鶴事件」と呼ばれることになった事件のことを調べてゆき、その現場写真を見る。いくつもの謎が重なって、読者を引き込んでゆきます。本格的なミステリーとしても読める小説ですが、事件の謎解きに沿って、解かれる家族の謎、主人公と恋人の謎。人物の関係性は、大きな文学のテーマだと感じられます。
中村 そうですね。読み進めば読み進めるほど、この「迷宮事件」の謎は大きくなっていきます。「あるいは、まるで日置剛史なんて初めからいなかったみたいに/彼の死体が……」というところまでくると、謎はMAXになる。そうやって謎が限界まで大きくなったところで、一気に謎の解決に向かう。そういう流れを意識しました。
読書は、運動でもあると思うんです。どんどんページをめくっていって、小説の世界の中に浸ってもらって、楽しんでもらいたいです。読みやすく、かつ雰囲気をもった文章ということも意識しました。読書しながら時間を忘れる体験は本当にいいものですので、そうなってもらえるような小説を書きたいと思いました。
エンターテインメントの謎解きの魅力と、純文学特有の人間の深層心理。この両方を味わってもらおうと。
――小説の構想を始められた頃が3・11の震災と重なっています。震災が作中にも重要な場面として、書かれています。震災とリンクしてこの小説を変えていかれたことがありましたか?
中村 海外の現代小説を読むと、その国、そこで生きる人々の空気がよくわかるんです。記録、としてではなく、文学の言葉として。小説にはそういう役割もあるのだなと。
自分の小説が欧米圏にも訳されるようになってきたので、世界文学を意識するようになりました。この『迷宮』を書く時に、この物語の時期設定を、震災後の数週間以内の東京とすることは最初から決めていたんです。作家として、日本の、あの時期のことは文学の言葉として残さなければならないと。それも文学の役割であると。……僕は福島大学を卒業している、ということもあります。あの震災は、内面がえぐられるというか、僕にとっても非常に大きな出来事でした。
――冒頭で、主人公が幼い少年の時に、白衣の男に選択を迫られる場面が描かれます。デビュー作以来、少年と文学と言うことを考えて来られたと思います。
中村 書いている時に、小さい頃の、目つきの悪い自分がすぐ側にいるような気がします。小さい頃、あまり平和ではなかったので、作品に現れてしまうのだと思います。
――影響を受けた作家として、ドストエフスキーを一番にあげていらっしゃることが多いかと思いますが、この小説は家族と殺人という題材もあって中村さんの作品の中でも特に「カラマーゾフの兄弟」と重なる印象があります。中村さんにとっての文学、あるいは好きな小説について、話していただけますか。
中村 ドストエフスキーと言うと難しく聞こえますが、彼は当時は大衆作家です。職業作家の走りでもあった。よく読むとエンターテインメントですよ。彼の文章はロシア語でも大変読みにくいそうですが(笑)。
文体か物語か、という議論がありますが、そういうのはもう古いと思っています。物語が面白くて、かつ文体も魅力的というものがあっていいはず。最近目指しているのはそこです。そもそも、物語性を否定するなら、ギリシャ神話なども否定しなければならなくなる。文学というものが狭くなるだけです。
この「迷宮」は、「カラマーゾフの兄弟」とは全く違う物語ですけど、精神的な面では繋がっていると思います。ドストエフスキーを読んで圧倒された経験を、自分の小説に活かしたいというか……。従来の文学の伝統を壊すのではなく、その上に新しさを積み上げて革新させたい、と思っています。より現代的に。
――「人は覚悟もないまま、悪を成すことができるのか?」という大きな問いかけがあり、悪について今まで以上に掘り下げて考えられた物語がまた一つ誕生したと感じられました。
中村 先日ある人が、「この『迷宮事件』は殺人事件なので異常な事件だけど、出てくる人物達ははっきりと異常といえる人はいないですよね」と仰ってくれました。よく読んでくださってるなあと。
出てくる人物達は少し逸脱してしまっただけなんです。でもそれが積み重なり、混ざっていくと、とてつもなく異常な現象が「犯罪」として出現してしまう。そういうことも意識しました。
――冒頭の場面に出てくる「分身」という言葉が、後半の鍵となって来るところも興味深い構成です。現代的な切実なラブストーリーにもなっている小説だと思います。
中村 分身、というのは、内面に抱えるもう一人の自分という意味もあります。人は誰でも、他人にはあまり言えないことを抱えていると思います。
子供は、周囲に誰も味方になってくれる者がいない時、架空の存在を創り出します。僕がそうでした。そのことも、この小説にとってとても大きいテーマです。出てくる登場人物はほとんど成人ですが、それぞれが内面に何かを抱えています。
ラブストーリーという点では、そうも読めると思います。まあ、かなり特殊なラブストーリーですが(笑)。でもありがちなものよりはいいのではないか、と思っています。
――主人公が惹かれてゆく女性紗奈江は、初めはさりげなく登場しますが、次第に圧倒的な存在感を帯びてきます。
中村 謎を秘めた女性というのは魅力的だと思います。
裏テーマでは、サディズムとマゾヒズムの関係というのもあります。ムチとかは出てこないので、あくまで精神的な意味ですが(笑)。サディズムは支配しているように見えて、実はマゾヒズムに支配されているんですね。
主人公は、「どうしてこうなったのだろう?」と常に思いながら、気がつくと紗奈江の思い通りになっている。この関係は怖くもあります。しかも彼女には、主人公を支配しているという自覚がない。自覚がない行為というのも怖いです。でもここには得体の知れない引力があるんですね。
――中村さんの小説の中では珍しく、ある意味で、ハッピーエンドと言える終わり方になっていると思います。
中村 そうかもしれないですね。人によって捉え方はそれぞれだと思いますけど。
ここ数年、バッドエンドで終わる小説は避けています。バッドエンドで終わるのは、ある意味では安易でもある。かといって、単純なハッピーエンドも避けている。これも安易なので。現実というのは味気ないので、あまり単純なハッピーエンドだと、「はいはい、良かったね」と思えてしまう。逆に寂しくなるんですね。そういうのは好きではないです。読んだ人の中に何かを残したい。だから終わり方はとても考えます。
小説は、テレビや映画や漫画やネットでは味わえない世界を提示しなければならない。当然それを書くのは大変ですが、その意識がないと駄目だと思っています。
(なかむら・ふみのり 作家)