インタビュー

2012年7月号掲載

『脱資本主義宣言』刊行記念 インタビュー

ぼくらは経済の奴隷じゃない

鶴見済

対象書籍名:『脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし』
対象著者:鶴見済
対象書籍ISBN:978-4-10-332461-4

――ミリオンセラーになった『完全自殺マニュアル』をはじめとして、九〇年代には精力的に執筆活動を続けていた鶴見さんにとって、この本は実に十二年ぶりの新刊となります。この間はどういったことをされていたのでしょうか?

 よくデモに行ってましたね。国内では「格差」や「貧困」が問題とされるようになった頃からですが、それまでも「楽に生きること」をテーマに文章を書いてきたので、そういう「生きづらさ」にも文句を言わないとまずいだろう、ということで。それからもともと植物を育てるのが好きだったんですが、その流れで、畑で自然農を始めました。自給できるほどではないですが、食べ物を作って食べていると、「本来、生きるとはこういうことだったはずなのに」と感じるようになりました。今我々は、生きるのに必要なものは、全部お金を出して買っていますよね。そのために「働いてカネを稼ぐこと」が「生きること」になっている。でもこうなったのは、人間の歴史の中ではつい最近のことです。資本主義社会が進んでからそうなっただけです。これを変えるのは難しいですが、本来、生きる営みというのは、衣食住にまつわることをやっていくことだったんだと気づきました。

――そういう生活を送る中で、本書が提起している「経済」や「グローバリズム」に対する問題意識が育まれていったんですね。この本では、我々の身近にある洋服や缶飲料や自動車などが、どこで作られ、どう売られ、どう捨てられていくのかを丹念に追っていくことから、現在のこの世界の歪んでしまった姿を浮き彫りにしていますね。

 そうですね。たとえば、缶飲料ってすごい宣伝して売ってますよね。缶コーヒーを飲む習慣は日本にしかありませんが、コーヒー豆なんて日本で穫れるわけがないし、缶に使われているアルミや鉄も全て輸入しています。そもそもコーヒー豆は、白人社会が消費するために、かつての植民地で作らせていて、今もコーヒー農家の人たちが貧しい生活を強いられていることに変わりはありません。そして缶の材料にもなるアルミニウムについては、七〇年代以降、日本がインドネシアに大きな精製工場を造っています。工場の近くにダムまで造って、その電気でアルミを精製する。地元民にはほとんど電気は回りません。工事を受注したのも日本企業で、建設資金まで日本が融資しているんです。つまりカネを貸して、ダムや工場を造り、そこで出来た製品は全て日本に持ってきてしまう。これはもうほとんど植民地化と言ってもいいでしょう。

――気軽に飲み捨てられている缶飲料の背後に、そんな問題が存在していることを知っている人は少ないですよね。

 缶飲料に限らず、この国はずっと大企業の儲けになることを優先してやってきました。衣服の自給率はわずか四%で、輸入品の八割は中国から来ています。が、その中国の工場では搾取労働が問題となっています。衣服の原料となる綿花を輸出しているウズベキスタンでは、綿花のために水を使い過ぎて、アラル海が干上がってしまいました。でもそんなことを言っていたら衣服が売れなくなる。だから誰も指摘しない。

――日本では、消費拡大は経済のためにいいことなんだとされていますね。つまり無駄遣いがむしろ奨励されている。

 これは原発再稼働の問題にも繋がっています。原発に反対している人がこれだけ多くいるのに、日本経済のために再稼働をしなければいけないという。「経済のため」と言っているけれど、本当は「大企業のため」であり「カネ儲けのため」だと思います。我々は戦後それ一筋でやってきたけれども、これからは経済の奴隷であることをやめて、カネではない価値観を作っていかねばならない。それが「脱資本主義で行こう」というこの本の主張です。

――その「カネでない価値観」とはどういうものでしょう?

 その答えは一つには決まらないので、本のなかに散らばっています。例えば衣食住に関わることを、自分でやる。また、「北」の国々が「南」の国々を搾取してしまうのは、経済がグローバル化しているから、どうしても「搾取する」「される」という関係が生じてしまうせいでもある。だからグローバル化した経済に餌を与えてもらうのではなく、各地域ができるだけ自律した経済を営むことも大切でしょうね。

 (つるみ・わたる ライター)

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