書評

2012年11月号掲載

中世哲学への特色ある入門書

八木雄二『神を哲学した中世 ヨーロッパ精神の源流』

村井則夫

対象書籍名:『神を哲学した中世 ヨーロッパ精神の源流』
対象著者:八木雄二
対象書籍ISBN:978-4-10-603718-4

 思想にはそれが育った土壌があり、それが呼吸している時代の空気がある。そのため、時代的にも地域的にも異質の環境で展開されたヨーロッパ中世の思想は、現代の日本人にとってはその理解が難しい。本書はそうした現状を十分に踏まえながら、中世哲学を、知的・学問的な運動としてのみならず、その時代を生きたヨーロッパ人たちの生活感覚とともに描き出そうと努めているという点で、中世哲学への特色ある入門書となっている。
 一般に「中世哲学」という場合、キリスト教の教義形成に貢献した古代の教父たち、あるいは古代末期のアウグスティヌスから始められることが多いが、本書では、中世という時代を、神学が文化の中心を占めた時代と規定して、その叙述を十一世紀から十四世紀までの思想に絞り込んでいる。そうした設定ゆえに、本書で描かれる中世は、教会・修道院・大学の時代として、その輪郭がきわめて鮮明なものとなっている。しかも本書では、ギリシアに誕生した厳密な思考という意味での哲学と、キリスト教中心の世界観を支える神学が明確に区別され、神学こそが中世の人びとの実生活に根差し、現実のなまなましい状況を扱うものであったという理解が一貫して打ち出されている。そのため、通常の哲学史では触れられることのない現実的な問題、しかも中世固有の世界観が実感できるような実例がふんだんに用いられ、それらが神学の核心に触れるものとして示される。「天使の堕落」という問題、あるいは十字軍と密接な関係にあるボランティアの思想、さらに中世独自の経済観念、特に土地の所有権、私生児に対する財産分与の問題などを通じて、現代と異なる中世の思想環境が生き生きと描かれている。
 哲学的な側面に関しても、ギリシアに由来する抽象的・形式的思考の意味や、それがキリスト教の三位一体論に関わったときに発生した普遍論争、あるいは神の存在証明、自由と摂理の関係などが、著者独自の照明の下に解説されており、中世哲学にある程度馴染んでいる読者にとっても新鮮な視点が提供されている。その叙述は、思想の内実を安易に簡略化することを避け、近代以降の思考や東洋思想との異質性をも際立たせながら、例えば、中世固有の信仰観や、理性と感覚についての理解などを、あくまで中世思想の実質に即して浮き彫りにしようとしている。特に最終章で大きく取り上げられるヨハニス・オリヴィについての解釈は、通常の入門書ではほとんど取り上げられることのない著者の創見である。その点でこの最終章のみは、叙述の質がやや異なるとはいえ、その議論は、著者の研究者としての現在の関心を示すものとなっている。
 全体としてきわめて平易な叙述で、時代の空気感をも伝える本書は、中世という時代に思想面からアプローチしたい読者にとっては、有益な手引きとなることだろう。

 (むらい・のりお 明星大学准教授)

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