インタビュー

2012年12月号掲載

刊行記念インタビュー

この町のどこか、夜ごと語られるは、彼女にまつわる黒い噂――。

『噂の女』 奥田英朗

奥田英朗

町で評判のちょっと色っぽいいい女。バイトで親爺を転がし、年の差婚をしたかと思えば料理教室で姐御肌。旦那の保険金を手に入れたら、あっという間の売れっ子ママに。きな臭い話は数知れず、泣いた男も星の数。愛と悲哀と欲望渦巻く長編小説。

対象書籍名:『噂の女』
対象著者:奥田英朗
対象書籍ISBN:978-4-10-134472-0

地方都市に生きる人たちの、小さな話

――『噂の女』は、ある地方都市に平凡に生きている人々のちょっと滑稽な日常と、そこに現れた謎の女が巻き起こす出来事を描いています。

 この小説で一番書きたかったのは、市井のちっちゃい人たちの、ちっちゃい話です。世の中の誰もが、大きな目標を持って立派な仕事をして生きている訳じゃない。ほとんどの人は、小説家も含めて、日々取るに足らない営みをしていて、それは他人が見たらつまらない人生かも知れない。でもそういう人たちの生活にこそ可笑しみや、愛おしさがある。「取るに足らない」と言われるものに、人間味が出てくるのではないかと思うのです。特に地方で暮らす人々には小さな欲望はあるけれど、大義名分がない。だから、日々寄り集まっている人たちの何でもない会話に、彼らの本音が出てくると思ったのです。

――舞台は、奥田さんのご出身地でもある、岐阜とおぼしきとある町です。

 地方にはその地方の社会があるし、そこでは人々が天下国家を語るなんてことはまずない。いや、九九パーセントの国民は別に天下国家を語らなくてもいいというか(笑)。罪さえ犯さなければ――小説の中では犯罪らしきことも起こっているのだけれど――、その地で通じることをやっていればいい。地方には富裕層なんていないし、スポットライトを浴びるような人だってほとんどいないんです。情報社会になり、みなが共通の価値観を持って競争させられてはいるけれど、本当は地方にはそぐわないと思う。つまりアンチグローバリズムです。

 一部地域を除いて大企業はなく、良い勤め先といえばお役所で、地方公務員か教師になるのが一番いい。ほとんどの人は有名でもなんでもない会社で働いています。テレビの長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」を観ていると、出てくるのは地方のカップルばかりでしょ。「勤務先は?」と聞かれ、例えば「トヨタです」って答えれば、会場もおーっとなる訳だけれど、元気のいい男子が、「○○商事に勤務です!」って名もない企業の社名を言う。その可愛らしさたるや! なんの大看板もない、水戸黄門の印籠を持ってない人たちが、悪戦苦闘しながら一生懸命生きている、そこに愛おしさがあるんです。

 そして、檀那寺や議員との付き合いなど、都会では全く無視出来るけれど、地方に暮らす人たちが関わらざるを得ないものがある。選挙の時に、誰それさんに入れてくれと言われたら、投票せざるを得ない。個人主義が通用しないというか、排除されているわけです。僕にはもう戻ることは無理だけれど、ごくごく平凡な人間としてそれを良しとすることが出来るのならば、慣れ親しんだ土地というのはとても暮らしやすいのではないでしょうか。

 日本にかろうじて残っている互助システムが働いているから、ありがたいと思うことも多いでしょう。

――名古屋という都会に近いからこその特徴もあるのでしょうか?

 数千人くらいの村ならば、もっと開き直れるでしょう。でも談合やコネといった弊害は残りつつも、アメリカ的グローバリズムが入ってきたせいで商店街は寂れている。地元では買うものがないから、名古屋に出てブランド品を買ったり。つまり、富裕層のためのインフラがないんですよね。

会話の面白さ

――夜な夜な雀荘に通うサラリーマン、料理教室に通う女性や、ヤンママホステス、土建会社組合の親爺たち、同じ寺の檀家など、さまざまな立場の人たちがああでもない、こうでもないと日々おしゃべりに興じています。しかも小気味よい方言が笑いを誘います。

 もともと、普通の人たちのどうでもいいおしゃべりが好きで、それを小説にしてみたかった。例えば、クエンティン・タランティーノ監督の映画の中に、ストーリーとは全然関係のないところで「マドンナがどうしたこうした」といった会話が入ってきて、そういうシーンにすごく魅力を感じたりする。おしゃべりが好きなんですね。

 方言は、小さなコミュニティでしか通じない言葉で、会話している者同士が、その場の前提を了解した上で会話している。理屈より情が先に立つ、という地方独特の雰囲気を醸しますし、より人間味が出てきます。もちろん、岐阜弁は親しんだ言葉ですから書きやすくもあった。ただ、東京暮らしが長くなって来ると、どうしても東京目線になってしまうんですけれどね。

――絶妙な会話によって日常を浮かび上がらせる。ご自身が体験したことではない、特に若い女性同士の会話などどのように書いているのでしょう。

 それは、一生懸命考えて書いていますよ。これまでの蓄積や、人との会話などちょろっとしたことを覚えていて、いつか使おうと思っていたものもありますが、会話に関しては、一文たりともいい加減にしていない。練りに練って書いてます。

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人間性滑稽説

――そんな人々の前に、美幸というちょっと色っぽい女が現れることで、男は色めき立ち転がされ、女たちは警戒心やある種の憧れを抱きます。

 地方では、美貌でも頭の良さでも、突出した人間がたまに出てくることがあります。東京だと人が多すぎるけれど、その地に残っていたら競争も緩いので、極端なカリスマが出やすい。だからちょっと美人だと、ものすごくモテてしまう。例えば、普段社長や政治家を転がしている銀座のやり手ママが柳ケ瀬に店でも出したら、全部仕切られるんじゃないかなあ。赤子の手をひねるみたいなものでしょう。まあ、正当な競争をして、活躍の場を与えられるのは、都会に限る。まっとうにのし上がりたい人は、東京に出ちゃうでしょうしね。

「精神科医・伊良部シリーズ」の伊良部一郎もそうでしたが、『噂の女』の美幸のような人間は、周りの人の視点で書くほうがキャラクターが立つ。当人は変わっていると思ってないので、普通の人の目線から描くほうが「ヘンさ」がいっそう際立つのです。

――奥田さんの小説ではいつも、社会の落ちこぼれ的な人間であっても、否定的には書かない。美幸もかなり怪しいけれど、どこか憎めない、不思議な魅力があります。

 美幸はワルだけれど、小さな池の中に見目麗しい鯉がいたら、みんな虜になっちゃうでしょ。誰のことも憎まず、否定的に書かないのは、昔から唱えているのですが、「性善説」でも「性悪説」でもない、「人間性滑稽説」によるものです。人が思わずぷっと吹き出してしまうことに、人間の真実味があるのではないか。可笑しさや悲しみが好きだし、それを描くことが小説の役目じゃないかと思っています。チャップリンに「近くで見ると悲劇、遠くから見ると喜劇」という言葉があるけれど、僕が書く小説は、その中間でいたい。そうすれば悲喜劇の両方が分かりますから。

――ご自分の小説をどこか俯瞰して見ているところがあるのでしょうか?

 そうですね。極力、自分の考えは入れないようにしています。「テーマは描くな、ディテールを描け」というロシアの戯曲家の言葉があって、丸を書いてこれが丸ですっていうのが説明で、色を塗りつぶして丸だと判らせるのが描写だ、と。だから描写にはこだわっています。そして小説の中で、誰も裁かないというのも僕のスタイルかな。登場人物全員に言い分はあるわけだし、それを聞いてあげましょう、という感じです。

――今回の小説で意識したところ、苦労したところはありますか?

 最初に決めたのは、会話劇で全編を押そう、ということです。しかも、零細企業の社員が、出来もしないのに毎晩「組合を作ろう」と気炎を上げるような、どうでもいい話や、檀家のおじさんたちの「寺への寄進はどうしよう……」といったしがない会話を永遠に書きたかった。それだけでどれだけドラマが作れるものなのか、チャレンジしたかった。

 本当にくだらない会話がいっぱい出てきますよ(笑)。くだらないことが好きなんだと思う。立派なことは苦手だし、小説で世の中を啓蒙しようなんて考えていないし(笑)。

 だから、『噂の女』は自分の趣味がすごく出ていると思います。僕のユーモアを分かってくださる読者が、一番喜んでくれる小説じゃないかなあ。楽しんでいただけると嬉しいです。

 (おくだ・ひでお 作家)

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