インタビュー
2013年1月号掲載
刊行記念インタビュー
韓国と日本は二卵性双生児、二つの国の心を伝えたい――
『涙と花札 韓流と日流のあいだで』
花札が行われる葬儀、厳しい受験戦争、兵役、北朝鮮の影。日本人が知っているようで知らない韓国の姿を、経済成長期にソウルで育ち、日本で大学教育を受けた新世代が語ります。
対象書籍名:『涙と花札 韓流と日流のあいだで』
対象著者:金惠京
対象書籍ISBN:978-4-10-333281-7
葬儀場の花札にこめられた韓国人の心情
――『涙と花札』は、二年間かけて日本語で書下ろされました。この題名にはどんな思いがこめられているのですか。
金惠京 私は韓国で生まれ育ち、日本に憧れて日本語を学び、法学の道に進みました。二〇〇〇年代に入って韓流ドラマやK-POPが人気となり、もはや日本と韓国は「近くて遠い国」ではありません。しかし私は、日本で韓国人の姿、その心の内をもっと知ってもらいたいと思ってきました。
その一つの例が、韓国の葬儀の光景にあります。日本でも映像で流れたりしますが、葬式では遺族や参列者が心の底から嘆き悲しみ、号泣します。しかしその一方で、参列者は涙にくれる遺族の横で花札に興じるのです。「通夜の席で花札?」と日本では驚かれます。でもこれは、遺族の悲しみを賑やかな場を作って癒そうという韓国の人々の深い情の表れなのです。そして、その背景には韓国が背負う歴史も隠されています。
そもそも花札は日本の植民地政策に絡み韓国に広まった遊興で、その後、朝鮮戦争時代に駐留したアメリカ軍が持ち込んだ軍用の生地が花札の台として使われ、一層定着しました。葬儀場での花札は、韓国人らしい遺族への思いやりと歴史的な悲しみを内包し、象徴しているものなのです。
私の祖父は戦前の日本に留学経験があり、父母は朝鮮戦争を知る世代です。一九七五年生まれの私は、一九八八年のソウル・オリンピックを中学一年生で経験し、韓国の経済成長期に生まれ育ちました。私たちは、祖父母・父母の世代や386世代(九〇年代に三〇代で、八〇年代に大学生で民主化運動を経験した六〇年代生まれの層)とは異なり、日本に憧れめいた親しみを持っています。世代ごとに日本への意識は違うのです。しかし、「葬儀での花札」にこめられた韓国人の心情や歴史の悲しみは共有していると思いますね。
――この本には、日本人が知っているようで知らない韓国社会の姿が活写されていますが、受験戦争の激しさは日本の比ではありません。
金惠京 本当にすごいのです。韓国では十一月に一律に大学の受験日が決められていて、その日は企業も就業開始時間を遅らせ、白バイやパトカーが遅刻しそうな受験生を試験会場に送り届けたり、国を挙げて受験生を支えます。そして母親は大学の門の前でひたすら祈り続ける……。私の経験を具体的にこの本に書きましたが、多くの韓国人は大学受験のために小学生の時から猛勉強して名門大学を目指します。結果が就職や結婚、家の格にまで影響するので、本人の学力だけでなく家族の愛情や熱意まで試されるのです。そのため若年自殺者のほとんどが受験競争が理由です。日本ではいじめ問題で自殺者が出ますが、どちらも深刻で痛ましい問題ですね。
「ご飯、食べた?」が挨拶代わり
――受験だけでなく、韓国では「家族」の存在が大きいですが、なぜ家族の結びつきが強いのでしょうか。
金惠京 日本では何か悩みが生じた時に、誰に相談するでしょうか。韓国ではまず最初に家族に相談します。いつも困難のそばに寄り添ってくれる者……それが家族です。日常生活でも同じです。たとえば、男女を問わず、日本の大学生で夜、友達と遊んでいる時、母親から携帯電話がかかることは稀ですよね。でも、韓国では母親はメールではなく、いつも電話をかけます。「今、どこにいる? ご飯、食べた?」と。それが当たり前(笑)。
そういえば、韓国では会社でも家族・友人同士でも、初めて会った人にも、「ご飯、食べた?(パンモゴッソ?)」とか「お食事されましたか?(シクサハショッソヨ?)」が挨拶の言葉です。食べ物が少なかった時代の名残りでもあり、韓国人の相手を思いやる心情がにじみ出ていると思いますね。
――韓国の若者には「兵役」があります。それは日本社会と大きく異なるところではないでしょうか。
金惠京 兵役によって、家族はより強く結びつきます。北朝鮮との軍事的緊張関係の中で、二〇歳で厳しい兵役に就くということは、死と向き合うことでもあるからです。私の家族の場合も、弟が兵役に就いている間、母は一時も安らぐことはありませんでした。韓国の母親たちは皆、息子が兵役を終えて初めて子育てが終わると言います。韓国の政治家のスキャンダルで最も決定的なのは子弟の徴兵逃れです。兵役は韓国社会、家族関係にも大きな影を落としているのです。
――朝鮮半島の軍事的緊張のもとになっている北朝鮮という国家は、韓国の人々にとってどんな存在なのでしょうか。
金惠京 世代によって、その捉え方は大きく違います。祖父母の世代は同じ民族ということで親近感を持っていますが、一九七五年生まれの私たちが受けた教育は「北朝鮮は危険で恐ろしい国」というものでした。二十歳で明治大学に留学が決まった時、周囲からは、「ヘギョン、大丈夫? 日本で北に拉致されない? 東京では焼肉屋には近づかないほうがいいよ」などと言われたものです。当時、北朝鮮と一定の交流があった日本は「国内に北朝鮮を包含している国」と思われていました。日本に留学して、初めて電車の中でチマチョゴリを着た朝鮮学校の女学生を見かけたときは思わず身構えたものです。南北分断からすでに六〇年以上経ち、同じ言葉を話す同じ民族でありながら、思想も社会体制もまったく異なっているという苦しみを両国は抱えているのです。
日本と韓国は二卵性双生児
――二〇〇五年から、米国のワシントンで法律事務所に勤め、大学の教壇にも立たれました。アメリカ社会の中で生きる日本人と韓国人に何か違いはありますか。
金惠京 韓国人は今も移民熱が高いですね。祖国である朝鮮半島が南北に分断されているので、人生の選択肢として海外で国籍を取り、永住したいと考える。一方、日本人は移住していても「いつかは日本に帰りたい」という人が多い。ただ実際は、韓国人と日本人は人間関係の作り方や法律への意識などとても良く似ています。お互いに似ていないと言い張っても、二卵性双生児のように似ているのです(笑)。アメリカ社会の中で、私はそれを強く感じました。
実は、私がこの本を書こうと思い立ったのは、二年前、ワシントンのポトマック河畔で名物の桜を眺めた時でした。百年前の日本人がその心を伝えようと、アメリカに桜を贈ったように、自分は日本に帰って韓国についてもっと伝えるべきことがあるし、韓国にも日本の良さを知らせたいと思いました。その日から、日本語でこの本を書き始めたのです
――四月から母校の明治大学法学部で教鞭を執っておられますが、「竹島問題」など日韓関係が軋み、韓国は大統領選挙、日本は衆議院選挙がありました。
金惠京 明治大学は、J-POPや日流文化に憧れるだけの幼い私を大人の研究者にしてくれた場所です。韓国で最も有名で尊敬されている明治大学で国際法を教えることができるのは夢のようですが、東アジアが激動するこの時期に「竹島問題」をはじめ緊張が不可避な日韓関係を国際法と歴史の両面から真摯に考えることは、新世代の私に与えられた責務だと思います。二卵性双生児の日本と韓国の心情をお互いに分かり合うためにも、私の思いを日本でも韓国でも伝えたいですね。
(キム・ヘギョン 明治大学法学部助教)