書評・エッセイ

2013年2月号掲載

「非・劇的」ゆえの重要な史実

――城内康伸『「北朝鮮帰還」を阻止せよ 日本に潜入した韓国秘密工作隊』

森達也

対象書籍名:『「北朝鮮帰還」を阻止せよ 日本に潜入した韓国秘密工作隊』
対象著者:城内康伸
対象書籍ISBN:978-4-10-313732-0

 二〇〇四年、『シルミド』という韓国の映画が公開された。監督は康祐碩。北朝鮮の最高指導者である金日成を暗殺するために結成された極秘の特殊部隊が、その計画を実行しようとした直前に(南北和解ムードの到来によって)作戦中止を余儀なくされる。用済みとなって抹殺されかけた二十四名の部隊は、バスを強奪して市民や警官を殺害しながら青瓦台へのテロを敢行しようとするが、結局は警察隊に鎮圧されて二十人が射殺され、生き残った四人は処刑された。
 ほぼ実話だ。映画はかなり話題になったし、翌年にはテレビで放送されたから、観た人は少なくないと思う。二〇〇三年に公開された韓国でも、封印されてきた歴史の闇を初めて明かした映画として、一千万人以上の観客動員数を記録したという。
 テロや暗殺といえば、どちらかといえば北朝鮮のお家芸のような印象を僕らは持つけれど、決してそうではない。もちろん休戦状態とはいえ韓国と北朝鮮は戦争当事国なのだから、ある意味で当然といえるかもしれない。でもそもそも国家とは、そのように謀略や裏工作を進めながら、体制維持をはかろうとする存在だと見なしたほうがいい。規模の大小はともかくとして、それは日本も同様だ。
 このシルミド事件についての著作もある城内康伸が新たに書いた本書は、いわばシルミドの裏バージョンだ。かつて「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮に日本から渡った多くの在日コリアンやその家族たち。その数は累計で十万人に近い。この帰還事業を阻止するために李承晩政権は、日本で育った韓国人男性を中心に秘密部隊を結成する。具体的なプランは、朝鮮総連の要人暗殺や日本国内の在日コリアンに対する反共工作だ。
 しかし彼ら北送阻止工作員の部隊の位置づけは李承晩政権において、シルミドの部隊とは本気度がまったく違っていた。訓練を積んで日本に密入国したのはいいけれど、金銭的な援助はほぼないに等しい。宿泊する施設もなければ宿代もない。徹底して中途半端だ。そもそも本国から指示が来ない。何をどうすべきかわからない。秘密兵器もなければセクシーな女スパイも登場しない。工作員たちは川崎などのコリアンタウンで安アパートに起居し、廃品回収などのバイトをしながら糊口をしのぐ。パン屋の残飯で飢えをしのぐ者もいたという。最終的には下関から鮮魚運搬船でこっそりと帰国しようとするが、用意されていた船からは(なぜか)エンジンが外されていて、部隊は日本の警察に不法入国者として逮捕される。
 収容所や刑務所に収監されていた時代にも国家から連絡はまったくない。やっとの思いで帰国すれば政権は交代しており、身分保障はまったく為されないまま、出発前の約束はすべて反故にされた。それどころか、工作員としての活動の一環で所持していた金日成バッジを(同僚のはずの)情報課員や警察に発見され、「アカになった」と断罪される始末だ。しかも故郷に残していた家族に対しても、約束されていた庇護はまったく為されていなかった。
 何のための特務なのか。誰のための人生なのか。愛国心とは何なのか。読みながら彼らに代わって天を仰ぎたくなる。
 劇的な幕切れだったシルミド事件に比べれば、彼ら北送阻止工作員たちのストーリーはあまりに非・劇的だ。少なくとも「手に汗握る超大作」としての映画化は無理だ(ただしブラックなコメディ映画なら可能かもしれないけれど)。今は韓国でひっそりと暮らす彼らを訪ねた城内に、彼らは「映画になるような内容なら良かったけど」とか「大事件が起きてセンセーショナルな話があったならね」と語ったという。その表情が目に浮かぶ。愛国の思いは無残に消費された。あとには何も残らない。
 陽の光を浴びない。だからこそ大切な史実だ。しかも彼らの生涯には、この国の近現代史も大きな影を落としている。ならば日本人の一人としても笑えない。笑えるはずがない。読後感は哀しい。切ない。そして悔しい。

 (もり・たつや 映画監督、ドキュメンタリー作家)

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