書評・エッセイ

2013年4月号掲載

人と職場を、顕微鏡で眺めるような愉楽

――小山田浩子『工場』

津村記久子

対象書籍名:『工場』
対象著者:小山田浩子
対象書籍ISBN:978-4-10-120542-7

 あらゆることが細部まで描かれた、顕微鏡で精査するような文章は、読んでいるのに眺めているような感覚に陥る。ある巨大な絵の一部を、ずっと言葉で説明されている感じに面食らいながら、いつしか独特の味わいに取り込まれる。
「工場」は、大河で南北に隔てられた広大な敷地を持つ工場に働きにやって来た、牛山佳子さんというぐっと来る名前の二十六歳の女性と、その兄、工場の屋上緑化の仕事を任されている研究者の三人の視点で進行する。三者三様に、異様なまでに大きな工場の魔性のようなものと、その妖しさからはねじれの位置にあるような、働くことの徒労が細かく描かれる様子は、どっちをちゃんと見たらいいんだ……、という軽い混乱を起こさせるのだけれども、よく考えたら、世界は普通に巨大な建物も人の労働も内包していて、それらが近しいものとして存在するので、この偏りのない精緻さはとてもまっとうなのではないかという気がしてくる。たとえば、虫や動物が作る巨大な巣を、その中の生物の営為込みで眺めているのと同じである。それらを見ているだけで楽しいことに、この小説はとてもよく似ている。言葉が入ってくる分、見ているだけでは食い足りなかったところが補われるのでより楽しいとも言える。
 社員食堂は工場内に百近く、運輸の係は「UNYU」というジャンパーを着ていて、メンタルヘルスの冊子のミスは第二章以降がすべて十七ページ、工場は広すぎて固有種の動物までいて、小学生がそれをレポートにまとめ、A0のシュレッダーの機械はカヤックみたいなのだそうだ。少し書き出してみただけでも、ちょっとにやにやしてしまうような細部がえんえんと展開する文章を読むことは、言葉が呼び起こすイメージの密林を掻き分けて進むような体験をもたらしてくれる。個人的には、メンタルヘルスの冊子の校閲の部分は、あと二十回ぐらい読んでも飽きないと思う。
 不穏で端整な短編「ディスカス忌」をはさんで、「いこぼれのむし」は、「工場」で働いていた人々の思惑に焦点が当てられる。ある企業の大きなオフィスで、どうにも神経質で陰鬱な女子社員の負の変化を発端として、彼女を取り巻く周囲の心持ちのざわめきが、様々な視点から余すところなく描かれる。職場の女性同士の関係の面倒くささの異常なリアルさと、主人公の奈良さんがどんどん虫っぽくなっていくというSF的な事情が同時に提示されると、「工場」の時と同じようにどっちに力点があるのか悩むのだけれども、やっぱり、職場の人間関係のややこしさも、虫の営為も大差ないものなのではないかと気付かされる。職場の女性たちの笑い声が、「楽しいらしいのに、激しい鋭さも持っていて、笑い声の中に籠城しながら外部を攻撃するような様子が感じられる」と的確に指摘したかと思えば、主人公の夫が、眠りながら体をかきむしって爪にたまった垢をしゃぶっている様子を心配し、妻はおそらく寝ぼけて「もうしわけございません」とあやまる、というような場面(ものすごく笑ってしまった)が繰り広げられる。著者の、幾人もの職場の登場人物の心情を書き分け、彼らの癒着と物悲しさを炙り出す手付きに感心しながら、自分ならこの中でいうと誰か、とか、すごい大便をしたのは本当は誰なのか、誰か若柳にキレろ、などと考えつつ読むのはものすごく楽しかった。
 全体的に文章の密度が異常に高いので、ものすごくコストパフォーマンスのいい本であるともいえる。小山田さんは一日に何枚書かれるんだろう。すべての作品を読み終わった後、もうちょっと舐めるように読めばよかった、という後悔がほんのり漂う。だからこれから読むみなさんは、目を凝らして少しずつ少しずつ読んでください。それに報いて余りある、細部の愉楽を、この本は提供してくれるはずです。

 (つむら・きくこ 作家)

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