書評

2013年4月号掲載

日本近代文学史の風景を塗りかえる

山本芳明『カネと文学 日本近代文学の経済史』

中条省平

対象書籍名:『カネと文学 日本近代文学の経済史』
対象著者:山本芳明
対象書籍ISBN:978-4-10-603724-5

「カネと文学」、凄いタイトルです。文学はカネだ、といっているわけではありません。カネがなければ文学はできない、といっているのです。これでも凄いですね。でも、そういったのは著者の山本教授ではなく、ゾラなのです。ゾラ曰く、
「金銭が作家を解放し、金銭が現代文学を創出したのである」(「文学における金銭」)
 ということは、作家はまずもって食える職業でなければならないのですが、日本では文学の黄金時代のように見える明治の御代にも、作家では食えませんでした。実力・人気ともにナンバーワンの漱石でさえ朝日新聞社員との兼業で食えていたのです。明治41年に国木田独歩が死に、川上眉山が自殺しますが、その要因は経済的貧窮でした。要するに、作家では食えなかったのです。
 そんな状況に変化が生じたのはいつか? ずばり大正8年だ、と山本教授は断言します。本書は徹底して実証的な記述を積み重ねていきますが、その丹念な資料の博捜の結果なされる断言には千鈞の重みがあり、読者は深く納得させられます。文学史の解説で大正8(1919)年を特筆する本をほかに知りませんが、本書を読んだあとではこの年号を忘れることができないでしょう。著者はカネ、すなわち文学者の経済力をキーワードにして、日本近代文学史の風景をいとも鮮やかに塗りかえてみせます。なんと軽やかな力業でしょう。
 なぜ大正8年なのかという議論は緻密きわまる本書の実証で見ていただくとして、それ以降、文学者の第1期黄金時代を描くにあたって、著者は二人の小説家に対象を絞ります。島田清次郎と有島武郎です。片や大正期最大のベストセラー小説『地上』を書いた天才青年、片や日本人の誰もが知る大文豪です。経済事情を中心にすえて概観するこの二人の生涯の興味深さは格別です。
 島田清次郎、通称島清はいわば新潮社(!)の販売宣伝政策に乗せられてわが世の春を謳歌し、まもなく婦女暴行のスキャンダルに見舞われ、発狂してしまいます。逆に、有島武郎は文学の商業化を拒否して潔癖な出版事業を試みますが、最後は人妻との不倫を夫からカネで清算しろと迫られて、心中に追いやられます。作家の解放の武器であるカネは、両刃の剣だったのです。
 山本史観による日本近代文学史は何度か食える時代と食えない時代が交替するというパースペクティブをうち立てますが、戦前の食えない時代に、食えていた娯楽小説家が次々に過労死した事実も面白いし(失礼!)、戦後の高度経済成長期に作家が「現代の英雄」となっていく経緯を長者番付を駆使して活写するところも本書の読みどころです。
 とくに著者私蔵の舟橋聖一の日記をもとにこの作家の生活を再現し、官能小説家が政財界に力を及ぼした根源が経済力にある、つまりカネだという分析にはじつに説得力があります。日本文学史に新たな展望を開くユニークな労作です。

 (ちゅうじょう・しょうへい 学習院大学教授)

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