書評

2013年7月号掲載

「狂気」の集団か、日和見集団か

山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』

森山優

対象書籍名:『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』
対象著者:山本智之
対象書籍ISBN:978-4-10-603731-3

 戦後歴史学において、昭和の日本陸軍ほど評判が悪い組織はないだろう。確かに、張作霖爆殺事件や満州事変などの謀略、二・二六事件、ノモンハン事件、日米開戦など、陸軍の「悪行」は枚挙にいとまがない。惨敗に終わった太平洋戦争を終わらせる際も、本土決戦を主張してポツダム宣言受諾に反対し、広島・長崎への原爆投下とソ連の参戦を経た後も、条件闘争に固執した。ポツダム宣言受諾の「聖断」が下ると、三笠宮を通じて天皇に再考を迫ろうと画策して、一蹴される。さらに、若手将校が「終戦」前日に玉音放送の録音盤を奪うべく反乱を起こし、鎮圧された。まさに「狂信的」な陸軍の「暴走」を象徴する幕切れであった。戦争の人的・物的被害の大半が最後の半年に集中していることを考えれば、既に勝ち目が無くなっていたにもかかわらず、ずるずると敗戦の決断を遅らせた政府、特に最大の阻害要因となった陸軍に非難が集中するのは当然であろう。
 それでは、陸軍はレミングの群れのように玉砕への道をひた走っていたのだろうか。冷静に国際情勢を判断し、講和こそ最良の選択と考えた者は居なかったのだろうか。
 もちろん、居た。本書の主人公である松谷誠陸軍大佐である。松谷は酒井鎬次陸軍中将と共に、早期講和の担い手として従来から知られてはいたが、「終戦」史のエピソード的に扱われてきた。確かに一九四四年六月末、サイパン島の失陥をうけ、参謀本部二十班長だった松谷は「国体護持」のみを条件とした早期講和を東条参謀総長(兼首相兼陸相)に直言し、数日後に職をおわれている。時を同じくして、酒井も召集解除となった。陸軍の主流を主戦派(本土決戦派)が占めていたとすれば、松谷ら早期講和派の影響力は微々たるものに過ぎず、従来の陸軍イメージはゆるがない。
 しかし、松谷は南方のような死地に追いやられたわけではなく(支那派遣軍参謀)、約四ヶ月で小磯内閣の杉山陸相秘書官として呼び戻されている(後任の阿南陸相秘書官、さらに「聖断」を導いた鈴木貫太郎首相の秘書官も兼ねた)。
 著者は、このような松谷の処遇の背景に、陸軍内の中間派(日和見派)の存在を見る。そして、従来は主戦派と考えられてきた杉山、梅津さらに阿南も中間派であり、状況によって主張を使い分けていた彼らこそが陸軍の中心だったとされる。
「終戦」工作は、その主体となった鈴木首相を筆頭に、表面上は強硬論を唱えつつ、お互いの腹を探り合いながら、徐々に進めざるを得なかった。このことを勘案すれば、主戦派の圧力を最も強く感じていた陸軍内部で、その傾向が強かったことは、容易に想像できる。
 果たして、陸軍は妄想に駆られた「狂気」の集団だったのか、それとも「スーダラ節」よろしくわかっちゃいるけどやめられなかった日和見集団だったのか、考えさせられる一書。

 (もりやま・あつし 歴史学者・静岡県立大学准教授)

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