インタビュー

2013年8月号掲載

『大地のゲーム』刊行記念インタビュー

「世界の割れる音」を聞いた若者たち

綿矢りさ

21世紀終盤。巨大地震に見舞われた首都で、第二の激震に身構えつつ大学構内に暮らす学生たちと、その期待を一身に集める〈リーダー〉。限界状況を生き抜こうとする若者の脆さ、逞しさを描く最新長篇!

対象書籍名:『大地のゲーム』
対象著者:綿矢りさ
対象書籍ISBN:978-4-10-126652-7

近未来のとある国で

――最新長篇『大地のゲーム』のスケールの大きさに驚かされました。大震災に見舞われたある国の首都が舞台ですが、読み進むうち、二〇八〇年代あたりの話だとわかってきます。近未来の設定になさったのはなぜでしょう。

綿矢 地震の周期というのは人間の時間感覚とはずいぶん隔たりがあって、いつかまた大きな地震が起こるとしても、それはもしかすると何世代もあとのことかもしれない。そう考えれば、このくらい先の話でも説得力があるんじゃないかなと思ったんです。

――印象的なのは、夜の暗さですね。夜も昼のように煌々とライトがついていた「明るすぎる街」は何世代も昔の伝説のようなもので、もう誰も見たことがない。気候も変わっているようだし、寿命も短くなっています。

綿矢 わたしたちから見るとちょっと退化したような社会で、でもたくましく生きている、いまより血気盛んな学生たちを書きたいなと思いました。

――第二の巨大地震が一年以内に起こるという政府の警告にもかかわらず、学生たちは、危険地域の大学キャンパスで共同生活をつづけています。「世界の割れる音を聞いてしまった」若者たちが、その後をどう生きているか、が描かれていますね。

綿矢 自分が書くなら、地震が起こったとき、たとえばただちに避難して最善の方法をとろうとした人たちよりも、やりかたとしては頭が悪いかもしれないけれど、それがどうした、みたいな刃向かい方をする人たちを書きたかった。エネルギーとエネルギーのぶつかりあいみたいなものに、なんだか希望がある感じがして。

――おもな登場人物が名前をもたないことも印象的です。「私」「私の男」「リーダー」、リーダーの彼女のファムファタール的な女の子は例外的に「マリ」という名前を与えられています。

綿矢 未来の話ではあるけれど、それが日本かどうかはわからない。だから名前をつけずにやってみようと思ったんです。「マリ」というのは、いろいろなところにある名前なので選びました。

――学生運動の時代を思わせるようなところもありますね。

綿矢 それはちょっと意識しました。わたしの通っていたマンモス大学にも、手書きの看板があったりビラを配っていたり、昔の名残がまだありました。いつの時代も変わらない学生たちの青くささや古くささがあると思うんですね。名前がないことで、そういうごつごつした感じも出ればいいなと思いました。

「リーダー」と「私の男」

――大地震の傷跡の残る大学では、学園祭の準備が始まっていて、小説内の章としても、「二週間前」「一週間前」「二日前」「当日」とカウントダウンされていきます。

綿矢 はい、大学の学園祭で演説している人の姿がまず頭に思い浮かんだんです。二度目の大地震を警告するベルが鳴り響く状況と、学園祭にむけてテンションが上がっていく感じにはどこか似たものがあって、それを重ねてみたかった。

――語り手である「私」は、これまで書いていらした女の子とちょっと違うところがある気がします。

綿矢 いちばんの違いは「私の男」という存在かもしれません。いままで書いてきた話では、主人公がひどいことをしたり考えたりした場合、さいごには相応の罰が与えられるべきだろうと思っていたんです。でも今回は、どうにかして生きていることが重要なのだから、なんだかんだいってもいっしょにいて安心できる人を書きたくなりました。生きる支えというか、甘えというか、いろいろあっても、主人公がタフにのうのうと生きている感じが、「私の男」に集約されているかなと思います。

――「私」は「私の男」がいながら「リーダー」にも惹かれている。「私の男」というのはむやみに熱くならない冷静な人ですよね。でも両親を震災で亡くして、ドラッグに溺れかねない危うさもある。

綿矢 ちょっと影が薄くて、「私」はあなどっているところがあるんだけれど、意外と人間的で、結局いちばん運が強い人なのかもしれない。マッチョさみたいなものが強調されているかもしれません。

――中心人物が、震災後に突如注目を集めるようになった「リーダー」ですね。「リーダー」は、アジテーションがうまく、学生たちをどんどん巻き込んでゆくカリスマ的な存在です。彼をめぐって、恋人である「マリ」と、マリを狙う女子グループとの攻防もある。

綿矢 まわりの人たちを強力に引きつける人物というのは、非常時にどう動くんだろう、リーダーという存在があると心強いけれど、それには象徴以外の意味があるんだろうか、人の気持ちに敏感に反応することだけがうまい人と真のリーダーってどう違うんだろう、そもそも真のリーダーってなんや? などと考えながら書いてましたね。

 結局よくわかりませんでした。でも有事のときにどう動くかは人それぞれなのに、逸早く正しい行動ができたという人ばかり賞賛するのでいいのかな、とか。

――この小説を読んでいると、そういう視点を与えられますね。リーダーの存在感と、そのわからなさというのが不思議と両立していると思います。

大地の賭け

――『大地のゲーム』というタイトルには意表をつかれました。

綿矢 不謹慎かなと思いましたが、地震がどこで起こるかというのは、ルーレットみたいなものじゃないかという感じがして、とにかく人間的な規模ではないなと思ったんです。わたしたちはそういう大地の賭けの上にのっかって生きているんだなと。あとこの小説では、あえて危険な場所に残った若者たちを書いたので、つぎの地震に身構えている感じが、だんだんゲーム化してくるということもあります。

 小六で起こった阪神・淡路大震災のときから気になっていたんですが、東日本大震災のときにあらためて、ふしぎに思ったことがあったんです。放射能についてノーという人はすごく多かったけれど、どんなにひどい目にあわされても、こんなに揺れる土地には暮らしたくないとか、なんていやな国に生まれたんだろうとか、土地自体を悪しざまに言う人はほとんどいなかった。愛国心とはべつの、土地への愛着とか、信仰的なものがあるのかなと。そう考えると、日本だけではなく、過酷な土地に住みつづける人の謎が解ける気がします。

――冒頭に近い、校舎の屋上から雪山にバンジージャンプするシーンが印象的です。巨大地震でさまざまな体験をした学生たちの、生と死の境がものすごく近くなっている感じ。あの雪の量で、あ、これはどこなんだろう、という感じを与えられます。東京じゃないのかな、もっと北の都市なのかな、と。

綿矢 そうですね、あるいは気候が変わったのかもしれない。ロシアの YouTube がすごかったんですよ。ロシアの人たちは信じられないようなアクロバティックな遊びをしている。バンジージャンプもすれば、プールにショベルカーで波を起こして、子どもがシャベルですくわれてまた落とされて喜んでるとか、ゴールデンゲートブリッジみたいな橋の上に命綱なしでのぼって「ヘーイ」とか、ものすごくワイルドなんです。それを見て心を奪われて、なんだかいいなと(笑)。

 それで、この小説では、敏捷な、身体能力に長けた人を出したいなと思いました。

――人間としてのタフネスさみたいなものですね。

綿矢 はい、自己犠牲的ではなく、自分の才覚で生き延びてゆこうとする人たち。

――ラストのシーンがいいですよね。

綿矢 いやあ(笑)。

――生き物としての人間のたくましさが描かれていると思いました。

綿矢 だとしたらうれしいです。ありがとうございます。  

 (わたや・りさ 作家)

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