書評

2013年8月号掲載

家族の紐帯を描く医療ミステリー

――知念実希人『ブラッドライン』

杉江松恋

対象書籍名:『ブラッドライン』
対象著者:知念実希人
対象書籍ISBN:978-4-10-121071-1

 純正会医科大学附属病院手術部第六手術室。その中でありえないことが起きていた。
 腹腔鏡下胆嚢摘出術。ごくありふれた簡単な手術を受けていた患者が、出血多量で死に至ろうとしていたのだ。患者の名は冴木真也、同病院の第一外科で准教授の地位に就いている人物だった。そして腹腔鏡の操作に当たっていたのはキャリアを積み始めたばかりの医師・冴木裕也、異例のことだが患者の長男が手術にも参加していたのである。息子の目の前で、冴木真也は臨終を宣告されることになる。
 この死は一大スキャンダルを巻き起こした。折しも第一外科では教授選挙の時期を控えていた。冴木真也はその候補者の一人だったのである。手術で執刀に当たっていた海老沢教授は、真也以外の人物を後任として推していた。その軋轢がなんらかの影響を及ぼしたのではないか。マスメディアからの取材を警戒する裕也の前に、意外な人物が姿を表す。警視庁捜査一課の桜井という刑事だ。桜井は裕也に、馬淵公平という人物が通り魔殺人に似た形で命を奪われた事実があることを告げる。馬淵もまた、第一外科次期教授選の、候補者の一人だった。二つの死の間には何か関連があるのではないか。桜井の提示した疑念は裕也の心に大きな波紋を残した。彼は父の死の背景にあるものを調べ始める。
 現役の医師でもある知念実希人は、二〇一一年に「レゾンデートル」(『誰がための刃』と改題、のちに講談社刊)で「ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」を受賞してデビューを果たした、ミステリー界の新鋭だ。同作はシリアルキラーものの緊迫した雰囲気と作者の持つ医学の知見とが有機的な融合を果たした意欲的な作品である。
 その知念のデビュー後第一作となるのが本書、『ブラッドライン』だ。医療の現場を描くという趣向が前作以上に前面に押し出され、青年医師が同業の先輩である父の死の謎を推理するという直球勝負の物語となった。医療過誤、旧態依然なピラミッド型社会である大学病院の医局の構造腐敗など、現場で起きているさまざまな問題が作中には描きこまれている。医療小説への関心から本書を手に取った読者は、必ず満足してページを閉じることになるはずだ。作中では複数の謎が描かれるが、それが次々にスイッチしていくテンポがよく、プロローグからエピローグまでは一気読みしてしまうこと必至だ。医学の知識も嫌味なく開陳されており、あまりなじみのない読者でもとまどうことなく楽しめるだろう。
 さらに注目すべきは作者が、家族の情愛を描くことに腐心していることである。
 冴木真也と裕也、裕也と妹の真奈美という家族の間には、彼らが肉親であるからこその軋轢がある。裕也が事件について調べていく背景で、冴木家が本当はどのような家族であったのか、という問いが浮上してくる。血を分けた肉親間の紐帯は、そのままでは決して強固なものにならない。自分たちが家族であるという自覚と、それを守ろうという努力があって、初めて人は家族になれるのである。そのことを医療という切り口を使って描いた小説である。
 長篇第二作であり、もちろん粗も目立つ。たとえば、妹・真奈美の問題には紙幅を割きすぎだろう。登場人物同士にもっと会話の機会を与えれば起こらなかったはずのトラブルまで書き込まれている。こうした贅肉の部分はデビュー作から目立っていたが、だいぶ改善されてはいる。逆にいえば、余剰があるにもかかわらず、この速度で物語を走らせられる膂力がこの作者には備わっているということだ。さらに筋肉がつけば、恐るべき実力を発揮するだろう。どうしてもこの物語を書かなければならない、という情熱も十分に感じ取れる。こういう火の玉のような小説は大歓迎だ。そして、ミステリーという叙述の形式が作者の描こうとする物語に最もふさわしいものだとすれば、その符合も心から祝福したい。医療ミステリーの世界に新風よ吹け。

 (すぎえ・まつこい 文芸評論家)

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