書評・エッセイ

2013年8月号掲載

TEDという「黒船」に対する傾向と対策

――ジェレミー・ドノバン『TEDトーク 世界最高のプレゼン術』

茂木健一郎

対象書籍名:『TEDトーク 世界最高のプレゼン術』
対象著者:ジェレミー・ドノバン著/中西真雄美訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506491-4

 私もいつの間にか五十歳で、この年になると緊張はめったにしない。それはむしろ寂しいことでもあって、脳科学的に言えば、自分の今までの経験の幅を超えた新しい挑戦に、向き合う機会がなかなかないということである。
 そんな私が、かつてないくらいのプレッシャーを感じる舞台があった。二〇一二年二月二九日。米国、カリフォルニア州ロングビーチ。年に一回開かれているTEDのメインステージで、三分間のスピーチをすることになったのだ。
 NHKの番組『スーパープレゼンテーション』などを通して、日本でも広く知られるようになったTED。TEDには、ロングビーチで行われる「本会議」と、さまざまな場所で開かれるTEDxと呼ばれるイベントがある。TEDの本会議のメインステージで話したのは、どうやら日本人ではその時の私が初めてだったらしい。
 なぜ、たった三分のスピーチで、そんなに緊張していたのか。それだけ、TEDのメインステージの「家賃」が高いということ。ビル・ゲイツ氏やアル・ゴア氏などの超有名人が登壇し、客席にもキャメロン・ディアス氏などの「セレブ」がちらほら、という雰囲気も当然関係する。
 より本質的なのは、TEDで求められているスピーチのレベルが、極めて高いということ。出だしからトップ・スピード。自然に、しかし集中して。米国の心理学者チクセントミハイの言うところの「フロー」状態で、「広めるに値するアイデア」を聴衆に伝える。「内気な人にも言い分がある」といった、誰にでも思い当たり、共感できる身近な話題から、貧困や格差の解消などのグローバルな課題まで、カバーされるテーマはさまざまである。
 TEDのメインステージは、内容的にもパフォーマンスにおいても、最高水準が求められるいわば「トークのオリンピック」。そのTEDの舞台で、二〇一一年の東日本大震災の経験と、そこから立ち上がる日本人の強靱な精神についてスピーチをする機会が与えられたことは、私の人生の中でも特筆すべき体験だった。
 TEDが今注目されているのは、それが、日本の「講演文化」に対する一つの「黒船」だからだろう。何事も根回しが得意な日本人。聴衆の前でのスピーチも、人間関係や、社会のしがらみに気配りしたものが多い。
 一つの芸とは言えるが、そこに「広めるに値するアイデア」があるとは限らない。また、たとえ「広めるに値するアイデア」があったとしても、余計な配慮が働くことで、かえって伝わりにくくなってしまう。
「来賓」が紹介され、なんだかわかったような、わからないような儀礼的な話をする。「偉い」先生に限って、自慢話に終始したり、つまらないジョークをくどくどと言い続ける。そんなスピーチ文化に慣らされている日本人にとって、確かに、TEDのトークは衝撃的である。
 組織も、肩書きも関係ない。意味があるのは、伝えるべきアイデアだけ。そのアイデアをいかにわかりやすく、ストレートに伝えるか。人類の文化が進化する、壮大な実験場。TEDは「二一世紀のハーバード大学」という声があるのも頷ける。
 この度刊行される『TEDトーク 世界最高のプレゼン術』は、原書が出版された時から注目し、読んでいた。数々のトークの中でも、人気の高いものを厳選し、その秘密を探る。一つの科学的なアプローチであり、その分析結果は大いに参考になる。
 自身の体験から説き起こす「パーソナル・ストーリー」。聴衆に衝撃を与える「ショッキング・ステートメント」。そして、「インパクトのある質問」。これらの基本的な要素を押さえつつも、敢えて、ロビンソン卿の教育改革に関するトークのように、期待を「外す」ことの価値まで説く。TEDという「黒船」に対する傾向と対策、そして、自身のプレゼン術を大幅にヴァージョンアップするノウハウ本として、必読であろう。
 ところで、日本に造詣の深いTED関係者と話していて、意外なことを言われた。「TEDって、日本の居酒屋みたいなものさ!」
 さまざまな話題が、おつまみのように並ぶTEDは、確かに居酒屋の雰囲気に似ている。TEDは日本人にとって思ったより身近な存在かもしれない。『TEDトーク 世界最高のプレゼン術』は、ぜひ気楽に、リラックスして読んでいただきたい。あなた自身の「広めるに値するアイデア」が見えてくるはずだ。

 (もぎ・けんいちろう 脳科学者)

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