インタビュー
2013年9月号掲載
『爪と目』刊行記念特集 インタビュー
正確に書くこと
対象書籍名:『爪と目』
対象著者:藤野可織
対象書籍ISBN:978-4-10-120271-6
書き終える一年ほど前、六割くらいまで書き進めた「爪と目」を編集者にお渡ししました。
始まりと最後のシーンは、こういう光景を書きたいというものが最初からありました。終わりに向かってどういう風に進んでいくのかもある程度決めていました。ここから出発してこういう道を通りここで着地する、といったストーリーのようなものは、最初の原稿をお渡しした頃から変わっていません。
最初は三人称で書いていたのですが、最後まで書き進めることができませんでした。なにか違う、という思いがずっと消えなかったからです。章ごとに視点が入れ替わっていくやり方で書いたり、一人称で書いたり、文章の手触りをいろいろと変えてみたりと、冒頭から何度も書き直していたのですが、途中でかならず前に進むことができなくなりました。違う小説を書くときは、途中まで書いてある「爪と目」を放置し、時間ができたらまた戻って書き直してまた止まって、を繰り返していました。
それが、いまのかたち、「わたし」が「あなた」について語っていくという書き方で直し始めたところ、最後のシーンまで進むことができました。言葉にするのは難しいのですが、「時間の幅」のようなものを小説のなかに作り出せたというのが、書き上げることのできた理由のひとつなのかもしれません。過去、現在、未来と、幅のある時間軸を自由にいったりきたりするのに、いまの書き方がしっくりきて、「わたし」と「あなた」の関係性が描きやすくなりました。
平凡さが突き抜けすぎているために、作中の「あなた」のことが非凡な人間のように感じられるかもしれませんが、「爪と目」は平凡な女性の平凡さを描きたいと思って書きました。違ういいかたをするならば、鈍感で傷つかない人を描きたいと思って書いた小説です。
これまでも、傷つかない人、鈍感な人に注目してきました。小説にも書いてきました。小説の登場人物としては、傷つきやすくて繊細で、感受性が豊かで、というような性質を持っている人の方が、取り上げられがちなように思います。そういうタイプの人のなかにも、鈍感さや雑な部分があるはずです。雑な部分があるからこそ、人間は生き続けることができるのではないかとも考えています。
登場人物の性格やふるまいについて、良い悪いといった判断をしないように心がけています。鈍感で傷つきにくい人間を書くからといって、鈍感であれとみなさんに推奨しているわけではなく、どんな人にもそういう一面があるということを、価値判断を交えず、観察者として記録していきたいと願っているからです。人間の持っているいろいろな感情、性質、なかには、自分がそういうものを持っていると認めたり受け入れたりすることが難しいものもあるかもしれません。それらをすべて、ただそこにあるものとして書いていきたいと思っています。
わたしの頭の中で起こった出来事を、正確に文字に書き写す。情報を正確に伝達することを重視し、観察したものを記録しているような方法で小説を作る。このやり方は、大学院で論文の書き方を学んだときに、「正確に記述しなければいけない」とたたき込まれて以来、体に染みこんでいます。
もちろん頭の中で起こっている出来事は、自分で作り出しているわけですから、体験したことや読んだ本、マンガ、観た映画、音楽など、わたしを通過していったいろいろなものに影響を受けていることは間違いありません。しかし、それを文字にするときには、観察者に徹して、正確さを追求したいと思っています。
いつも、自分は正確に書けているだろうかと不安になります。次に書くだろう小説のことを想像すると、その小説はきっと完璧だ! 面白い! と有頂天になることもあるのですが、書き始めた瞬間に、自分が正確に書けているかどうかが心配になり厭にもなります。そして、書き始めたその小説のことではなく、次に書くことになる小説のことを考え、完璧だ! と思うのです。そうやって少しずつ、前に進んでいきたいと思っています。
(ふじの・かおり 作家)